平成26年12月30日(火)  目次へ  前回に戻る

次に目覚めればヒツジ?

今年ももう少しですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

今年ももう終わりなので、かっこいいので〆ましょう。

明月幾時有、把酒問青天。   明月幾時有りや、酒を把りて青天に問わん。

不知天上宮闕、今夕是何年。  知らず、天上の宮闕、今夕これ何の年ぞ。

我欲乗風帰去、        我、風に乗りて帰り去らんと欲するも、

惟恐瓊楼玉宇、高処不勝寒。  ただ恐る、瓊楼と玉宇と、高処は寒きに勝(た)えざらん。

起舞弄清影、何似在人間。   起舞して清陰を弄す、人間に在りては何にか似んや。

歌い出しは「酒を把って月に問う、青天月ありてこのかた幾ときぞ」という唐・李白の詩を引いた。

 明月が誕生してからどれほどの時間が経過したのか、(李白のように)酒を手にして青空に向かって訊ねてみたい。

 天上の宮殿では、今晩いったいどういう時代であるのだろうか、まったくもってわからない。

 そこでわたしは風に乗って、そこに行ってしまおうかと思ったのだが、

 玉でできた高楼と宮殿があったとて、はるかな空の高いところは寒くてしかたないだろう(から止めた)。

 (そこで地上で)立ち上がって踊って、きよらかな光を楽しもう。この俗世において(この光を)何にたとえればよかろうか。

転朱閣、低綺戸、照無眠。   朱閣を転じ、綺戸を低(うかが)い、眠る無きを照らす。

不応有恨、何事長向別時円。  恨み有るべからざるも、何ごとぞ長く別時に向かいてまどかなる。

人有悲歓離合、        人に悲・歓・離・合有り、

月有陰晴円欠、此事古難全。  月に陰・晴・円・欠有りて、このこといにしえより全うし難し。

但願人長久、千里其嬋娟。   ただ願わくば人長久にして、千里それ嬋娟たらんことを。

 (月光は地上の)赤く塗られた富貴の家の屋敷をめぐり、飾られた窗をのぞきこみ、(憂いに)眠れぬひとを照らしだす。

 ―――月光を恨んでもしようがないのだけれど、どうしていつも別れのときにもまんまるでいられるの?

 ―――人の世に悲しみと歓び、別れと出会いがあるように、

  月にはくもりと晴れ、満ちると欠けるとがあって、むかしからうまくいかないことはあるのだよ。

 わたしの願いはただ一つ、あなたがずっと、(あなたのいる)千里の先まで照らす美しい月光のように、とわに元気でいてくれること。

宋・蘇東坡「水調歌頭」(水の調べの歌の出だしのところの節で)。

自注があって

丙辰中秋歓飲達旦作此篇、兼懐子由。

丙辰の中秋、歓飲して旦に達しこの篇を作り、兼ねて子由を懐う。

丙辰の年は宋・神宗皇帝の熙寧九年(1076)に当たる。

ひのえたつの年の中秋(八月十五日)楽しい酒宴を朝まで続け、この詞を作った。併せて(この場にいない)弟の蘇子由のことを思った。

のだそうです。

この詞にはもう少し詳しい「曰く」が伝わっております。

・・・当時、唐の李亀年のごとし、と評判の高かった袁綯という歌い手がおりましたのじゃ。

このひとがある時、とある宴席に招ばれていた。彼が後に言うたことには、

―――その夜は、

天宇四垂、一碧無際、如江流傾湧、俄月色如昼。

天宇四もに垂れて一碧にして際無く、江流の傾湧が如きに、にわかに月の色昼の如し。

夜空が四方まで晴れ渡って、一面の碧色がどこまでも広がっておりました。まるで長江がとうとうと流れる姿のようでありましたが、突然のように月が山の端から出て、昼間のように明るくなりましたのじゃ。

そこで、座中の貴人が、客人らしい飄々とした文士に向かって、

「この風情を是非に詞にしてみられよ」

とおっしゃられ、できあがった詞をやつがれに歌うように命じたのでございました。

文士が立ちどころに作ったのがこの詞でございました。

やつがれにもこの詞のすばらしさはわかりました。やつがれは

(このひとは神ではないか)

と思いながら、一層の心をこめて朗々と「水調歌頭」の複雑な調べに乗せて歌いましたのじゃ。

すると文士は

起舞。

起ちて舞えり。

立ち上がって、歌に合わせて踊られた。

歌が終わると、文士はおもむろにやつがれに向かっておっしゃったものじゃ。

此便是神仙矣、吾輩文章人物、誠千載一時、後世安所得乎。

これすなわちこれ神仙なり、吾輩の文章、人物、まことに千載の一時、後世にいずくんぞ得るところぞや。

「こういうのはまったく以て仙人の世界だよね。わたしの文章、ここにいるひとびと、そして月の光。ほんとうに千年に一回しかないものがそろったんだ。未来においてこんなことがあるはずがないだろう」

と。

そのひとが蘇東坡さまであるということ、そのときはじめて知りもうした。

・・・・・・・・・・・・・・・

宋・蔡絛(さいじょう)「鉄囲山叢談」より。

ほんとうかなあ。うそでしょうね。メディアのウソばかりが目につく一年でしたからね。もしほんとうだとしたら、東坡がまだ若いころの、客気のたっぷりあったころのことなのでしょう。

ちなみに、この詞を読んだ神宗皇帝は、

瓊楼玉宇、高処不勝寒。

瓊楼と玉宇と、高き処は寒きに勝(た)えざらん。

玉でできた高楼と宮殿があったとて、はるかな空の高いところは寒くてしかたないだろう。

のところまで至って、

乃歎曰、蘇軾終是愛君。

すなわち歎じて曰く、「蘇軾、ついにこれ君を愛するなり」と。

そこで、「ああ」と嘆息しておっしゃられた。

「蘇軾(東坡)は、やはり君主のことを大切に思っていてくれたのじゃなあ」

すぐにみことのりして、東坡の遠流を一段赦し汝州まで戻してやった。

というエピソードもございます。(元・楊G「古今詞話」より)

今夜もシンシンと冷え込んで来ました。高いところはもっと寒いのでしょうねえ。みなさんおからだにお気をつけて、そしてよいお年をお迎えください。

 

表紙へ 次へ