「儲かった」と思ったときはアブナい。
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南宋の乾道丙戌年(1166)夏、浙江・楽清県の港口で、
有蛟。出水長丈余。
蛟有り。水を出づる長さ丈余なり。
みずち(水龍)が出現した。水上に現れた部分だけで体長数メートルもあった。
それが見えなくなってから、
水吼二日、而海上浮銭甚多。
水の吼えること二日、而して海上に浮銭はなはだ多し。
海鳴りが二日にわたって聞こえ、そのあと海面にはなはだ多数の銭が浮かんだ。
「ええもん浮かんどるやないか」
「いただきや、濡れ手にアワや」
「儲かったでー」
と住民たちは喜んで銭を拾ったが、
有一父老識之、曰海将銭鬻人也。
一父老のこれを識る有り、曰く、「海まさに銭を将(もち)いて人を鬻ぐなり」と。
同様のことが起こったのを覚えているじじいがいて、怖れおののき言うに
「海が、この銭を用いて、ニンゲンを買い取りにきたのじゃ!」
と。
そして
風必作。
風必ず昨こらん。
「必ずや大いに風が吹いて嵐になろう」
と言って、
係舟于屋。
舟を屋に係く。
屋根に舟を繋いだ。
住民らはみなこの老人の言動を大笑いしていたが、
至八月十七日、海果溢、一県尽漂。其家独免。
八月十七日に至って海果たして溢れ、一県ことごとく漂う。その家はひとり免れたり。
八月十七日になると海が荒れ、水が陸地に溢れてきて、楽清県一帯はすべて水に流されてしまった。その老人の一家だけが助かったのである。
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明・朱国禎「湧幢小品」巻二十六より。
気をつけましょう。