平成26年11月17日(月)  目次へ  前回に戻る

肝冷斎は月曜日の恐怖に耐えられずに、どこかへ行ってしまいました。

しかたがないので今日はおいら肝冷童子が更新していまちゅが、おいらも何か義務的にするのイヤなので逃げ出そうかな。

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むかしむかし―――。

梁の町の酒屋に「酒客」(よそ者の「酒」)と呼ばれる男がおりましたそうな。

この人が造る酒はたいへん美味しく、ためにその酒屋は毎日一万銭のもうけを得ていたという。

酒屋の主人としては

「あんたのところには酒客さんがいるからいいねえ」

と他人に言われておもしろくない。

ある時、些細な過失があったと言って酒客を店から追い出してしまった。

ところがその後、

主人酒常酢敗、貧窮。

主人の酒、常に酢敗し、貧窮せり。

主人が造る酒はすべて腐敗して酢になってしまい、酒屋は凋落して窮乏したそうである。

酒客に酒を造らせると儲かる、というので、

梁市中賈人多以女妻而迎之。

梁の市中の賈人、多く女を以て妻あわせてこれを迎う。

梁の町中に店を出す商人らの多くは、自分のムスメを嫁にさせて酒客を招いた。

酒客はこれらの申し出をたいてい受けて、あちこちの商家の婿となったが、

或去、或来。

或は去り、或は来れり。

ある家には寄りつかず、ある家にはやって来た。

といった生活をしていたが、その閧ノ長い長い時間が経って、やがてその商家の主人もムスメたちも死んで行き、酒客のすがたを見かけることも無くなって行った・・・。

商家の経営や家族の生活などへの責任がイヤになって、どこかに逃げて行ってしまったのであろう。

さて。

後百余歳、来為梁丞。

後百余歳、来たりて梁丞と為る。

それから百年以上経って、彼は突然やってきて、梁の市長になったのであった。

酒客市長は

使民益種芋菜、三年当大飢。

民をして芋菜を益種せしめ、三年にしてまさに大飢すべしとす。

市民にイモ類をたくさん栽培させた。「三年後に飢饉が来るから、そのときに役に立つであろう」と。

果如其言、梁民不死。

果たしてその言の如きも、梁民死せず。

やがてそのとおりになったが、梁の市民はイモ類の貯えがたっぷりあったので餓死することが無かった。

よかったです。

後五年、解印綬去、莫知所終焉。

後五年、印綬を解きて去り、終わるところを知るなし。

それから五年、市長のはんことそれを下げる紐を外して(←職を辞することをいう)どこかに行ってしまい、それからどこでどう死んだのか、誰も知らない。

今度こそほんとに逃げ出したのであろう。

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漢・劉向「列仙伝」より(宋・張君房編「雲笈七籤」巻108所収)。

↑上記の酒客さん、なんでわざわざ百何十歳かになって市長さんなどになりに再来したのか。前半生の生き方と市長になってからの生き方に何の連続性も無いし、住民を飢餓から救うために来たのならその後五年も市長でいる必要は無いように思われます。これらを考えあわせるに、

「酒客さん」といわれていた酒造技術者と、百余年後に市長になった人とは、まったく別の人なのではないか。

という気もしてまいりますが、おいらは子どもなので疑問をさしはさむだけにとどめておきたいでーちゅ。世の中には子どもの知らなくていいことがたくさんありまちゅもんね。

 

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