大相撲もやっております。
―――肝冷斎よ、今日は楽しく暮らしていたようだが、明後日はもう月曜日だぞ、ぎっぎっぎ。
―――鬱鬱庵よ、明後日が来るまでは楽しく、おもしろおかしい話でもして暮らそうではないか、わっはっは。
燃える火があとからあとからと燃え上がるやうに
友よ 血を沸(た)ぎらせて話をしよう (石川道雄「火を囲んで」より)
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康熙乙丑年(1685)、わしは済南に行く用事があって、趙鍾英の家に世話になったことがあった。
鍾英は物静かだが話好きな男である。
夏の夜、床にじかに座って座談していたとき、たまたま話が彼のとっくに亡くなった祖父ぎみのことに及んだ。
其祖十六七時、遊西岳崋山。
その祖、十六七時に、西岳崋山に遊べり。
「祖父は、十六か七のころに、仲間たちと西岳・崋山に旅したことがあったそうです」
そのときの見聞を繰り返し、幼かった孫の鍾英に話して聞かせたのだそうである。
それによると―――
登絶頂、蓋有良田数千頃。道士自耕自食、百歳者極多。有眉長数寸者。
絶頂に登れば、けだし良田数千頃有り。道士自ら耕して自ら食らい、百歳なる者極めて多し。眉長数寸なる者有り。
頂上まで行くと、そこは平野になっていて、よく整地された田圃が数十ヘクタールも広がっている。そこには道士たちがいて、彼らは田を自ら耕し、そこで収穫されたものを自分たちで食べているのだが、百歳を越えているひとが非常に多いし、眉の長さが十センチぐらいもあるひともいた。
田圃を耕すのに牛を使っているが、
耕牛倶道士背負小犢、懸絙而上。鶏犬畢有。
耕牛、道士とともに小犢を背負い、絙(かん)を懸けて上る。鶏犬また有り。
これらの牛は道士と子牛を背中に載せ、蔓で縛りつけて山道を昇ってくるのだそうだ。ニワトリや犬もいた。
但無婦女耳。
ただし婦女無きのみ。
いないのは、おんなどもだけであろうか。
おんなどもは穢れているからなあ、わははは。
山のいただきには石室があった。
出遇一人。長丈許、衣草裙。
一人に出遇す。長、丈ばかりにして草裙を衣す。
たまたまそこから出てきた人に出会ったが、そのひとは背丈が2メートル以上あり、草で作ったスカートをはいていた。
そのひと、
不言不笑。
言わず、笑わず。
コトバも発しないし、表情を崩すこともないのであった。
しかし、祖父たちが地面に跪いて礼拝すると
似有喜色。
喜色有るに似たり。
なんとなくお喜びのようであった。
そこでみんなで、「あなたのような神人を拝礼いたしたく、ここまで参った次第である」旨を縷々述べると、そのひと、やおら
於空中取桃。
空中より桃を取れり。
何もないはずの空中に手を伸ばした―――と、次の瞬間、その手には桃の実があったのである。
そのひとはみなにその桃を下さったのだった。
それにしても
時正十月、亦不知其従何来也。
時に正しく十月、またそのいずれより来たれるかを知らず。
そのときは立冬後の十月(現在の暦だとちょうど今頃でしょうか)であった。いったいその桃をどこから取り出したのか、皆目見当がつかなかった。
その桃、あとでみなで分けて食べたが、特段に変わったところは無かったという。
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清・東軒主人「述異記」巻中より。
いやー、楽しいお話だなあ。でも、かわいい孫にウソやホラをついたり吹いたりするはずありませんから、ほんとうのことなんでしょうね。