←モッケイよりもこいつが一番強い?のでは。
そういえば大相撲九州場所が始まっております。
大相撲といえば、これ↓
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むかしむかし。
紀渻子(きせいし)というひとがおりました。紀渻子は周の宣王(前827〜前781)から闘鶏用のニワトリを一羽預かった。
王は、
十日而問、鶏可闘已乎。
十日にして問う、「鷄闘うべけんや」
十日後に訊ねた。
「どうじゃ、あのニワトリはもう闘わせることができるようになったかな?」
紀渻子答えて曰く、
未也。方虚驕而恃気。
いまだしなり。まさに虚驕にして気に恃めり。
「まだまだにございます。いまは虚勢をはって強気に出る状態ですから」
また十日経って王は同じように訊ねた。答えて曰く、
未也。猶応影響。
いまだしなり。なお影響に応ず。
「まだまだにございます。まだ相手の姿や声に反応していますから」
また十日経って王は訊ねた。答えて曰く、
未也。猶疾視而盛気。
いまだしなり。なお疾視して気を盛んにす。
「まだまだにございます。まだ相手を睨みつけ、盛んな気を発散させていますから」
十日経って訊ねた。答えて曰く、
幾矣。鶏雖有鳴者、已無変矣。
幾(ちか)いかな。鶏、鳴者有りといえども、已に変ずる無し。
「そろそろよろしいでしょう。このニワトリは、まわりに鳴きかけるものがいても、もう何の変化も示しません。
望之似木鶏矣。其徳全矣。
これを望むに木鶏に似たり。その徳全たし。
その姿を見るに、まるで木で作ったニワトリの像のようです。ここまでくれば、カンペキです」
と。
果たしてこれを闘わせるに、
異鶏無敢応者、反走耳。
異鶏あえて応ずる者無く、反走するのみ。
ほかのニワトリは、このニワトリがじっとしていても挑みかかろうとはせず、背中を見せて逃げ出すばかりであった。
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「列子」黄帝篇より。
双葉山は連勝が途切れたあと「ワレイマダモツケイタラズ」と電報を送ってきたわけですが、重箱の隅を突っついてみると、「木鶏」ではなくて「似木鶏」(まるで木鶏のよう)である状態が正しいので、念のため。
わたくしなんか今日も職場でいろんなひとからいろいろ言われても「まるで木鶏のように」じっと下を向いているばかり。別の人が何か答えて問題は通り過ぎていきました。双葉山もこの境地を目指していたのだろうか・・・。