ぶふー。
やっと週末。
とりあえず今日のところはゆっくり風呂入って寝る。明日は土曜日やってる眼医者さん探さないと。
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南宋が滅び、元がチャイナを領有していたころ、江南の地に王総管(「王隊長」)と名乗るひとがいた。
彼は宋のために戦った軍人であったそうだが、宋滅んでその愛国の志を遂げることができず、身寄りも無くて
常以蒲席為衣。
常に蒲席を以て衣と為す。
いつもガマで編んだムシロを体に巻きつけて衣服にしていた。
おいらも新聞紙を捲きつけて服にしていますのでこのあたりは似ていたのだ。
彼は普段あちこちの道教のお寺やあるいは街中の人家の軒先を借りて寄宿していたが、
毎到之処輙利、故人争邀之。
つねに到るの処すなわち利す、故にひと争いてこれを邀(むか)う。
どこに行っても、王が宿を借りたところは、その後商売が繁盛するので、商売をやっているひとびとは、争って彼を出迎えようとした。
王は酒は好きなのだが酒場に行くのを好まなかった。
そこで居酒屋の主人たちは
遇其来、急以酒与之。乃満飲、擲杯于地而去。
その来たるに遇えば、急に酒を以てこれに与う。すなわち満飲し、杯を地に擲ちて去れり。
彼が通りかかるのを見かけると、大急ぎで酒を用意して彼に手渡すのであった。彼はそれを飲み干すと、地面にさかずきを投げ捨てて(礼も言わずに)行ってしまう。
しかしそれだけで
其家終日獲利倍於它日。
その家、終日利を獲ること它日に倍す。
その店は、その日一日中繁盛し、通常の日の二倍の純益が上がるのであった。
そんなわけで、王総管は自分では「わしは王総管じゃ」と言っていたが、ひとびとは「利市先生」(商売繁盛先生)と呼んでいた。
ある晩、王は石函橋のたもとにある許公道院なる道教のお寺の軒先で、
立以寐。時方大雪、牛羊多凍死。王乃解衣入水、扣冰而浴。既出汗流如雨。
立ちて以て寐(い)ねたり。時にまさに大雪、牛羊多く凍死す。王、すなわち解衣して入水、冰を扣きて浴す。既に出でて汗流雨の如し。
立ったまま寝ていた。
夜半になって寒冷すさまじく、大いに雪が降って、屋外にいたウシやヒツジが凍死する被害が多数出たほどであったが、王は深夜に目を覚まして、
「なんかムシムシするのう」
とムシロの服を脱ぎ、川の氷を叩き割って水中にゆったりと入浴気分で浸かっていた。
「いやー、これはいい湯じゃわい。少し長湯し過ぎたかな」
やがて出てきたときには、雨のように汗を流していた。
という。
真異人也。
まことに異人なり。
ほんとうにすごい人であったのだ。
また
平生毎狂歌、人聴以卜休咎。多験。
平生つねに狂歌し、人聴きて以て休・咎を卜す。多く験(けみ)せり。
ふだん、わけのわからない歌をよく歌っていた。ひとびとはその歌を聴いて、自分の状況に考えあわせていいことがあるか悪いことがあるかを占っていたが、よくあたると評判であった。
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元・吾衍「闍序^」より。
ほんとうにすごい人ですね。冬でも水風呂であたたまれるならガス代節約である。
なお、昨日の答え(佐伯梅友・藤森朋夫・石井庄司校註「日本古典全書・新訂萬葉集」(昭和48 朝日新聞社)に拠る)
@ いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上(へ)わが枕かむ
(いったいいつの日に、あたしはあたしの音の良さをわかってくれる人のお膝の上で寝る(横たえられてつま弾いてもらう)ことができるのでしょうね)
A 言(こと)とはぬ樹にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
(おまえさんは言葉を発することのできない木であるが、立派なお方のつねに弾き鳴らす琴になることだろう)