目が痛くて痒くて腫れてまいりました。だめだ、しごと中も目を開けていることができない・・・
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―――しごと中に眠ってしまって、夢を見ました。
対馬の北島に結石山という山がありまして、そこに生えていた梧桐の枝を切り取りまして、琴を作った。
此琴、夢化娘子。
この琴、夢に娘子に化せり。
この琴が娘っ子に化けて、夢に出てきたんです。
その娘っ子がいうには、
「あたしは遠い島の高い山の上に根を張って、あたたかな太陽の光を浴びて生きてきたんよ」
いわゆる山姫(山の女精霊=ニンフェ)だというのだ。
長帯煙霞、逍遥山川之阿、遠望風波、出入鴈木之間。
長く煙霞を帯び、山川の阿に逍遥し、遠く風波を望みて、鴈・木の間に出入せり。
「長々と霧や霞を帯びて、山と川のすみずみまでうろつき歩き、遠くに風に立つ海の波を眺めながら、鳴かない雁と役に立たない木のどちらかになりながら過ごしてきたのです」
「雁木の間」というのは「荘子」に出てくるコトバです。簡単に言ってしまえば、どちらも役に立たないものの喩え。(←これはいい話なのですが、明日の朝のしごとが早い(T_T)ので詳しくはまた後日)
「楽しく過ごしていたのですが、
唯恐、百年之後、空朽溝壑。
ただ恐る、百年の後、むなしく溝壑に朽ちなむことを。
唯一つ、何百年も経つと枯れて、どぶや谷に捨てられて腐っていくのだ、ということを思うと、不安でならなかった。
そんなところに、
偶遭良匠、斮為小琴。
たまたま良匠に遭いて、斮(き)りて小琴に為(つく)らる。
たまたま腕のいい職人がやってきて、あたしを伐って、琴に作り替えてくれたのよ。
音は小さいし粗っぽくて申し訳ないのだけど、どなたかすてきなひとのお側に置いてもらいたいの」
そして、娘っ子、歌いて曰く、
伊可爾安良武日能等伎爾可母許恵之良武比等能比射之倍摩久良可武。 ・・・@
そこで、
僕、報詩詠。
僕、詩を奉じて詠めり。
おいらもうたをうたってお返ししたのだ。
許等等波奴樹爾波安里等母宇流波之吉伎美我手奈礼能許等爾之安流倍志。 ・・・A
すると琴の娘は答えて言うた、
敬奉徳音、幸甚幸甚。
敬しんで徳音を奉ず、幸甚なり幸甚なり。
「あなたのありがたい言葉を聞いて、とってもとってもうれしいわ」
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片時覚、即感於夢言、慨然不得黙止。故附公使、聊以進御耳。
片時に覚め、即ち夢の言に感じ、慨然として黙止(もだ)すを得ず。故に公使に附して、聊か以て進御するのみ。
そこで目が覚め、夢で見た娘っ子の言葉をいろいろ考えて、じっとしていられなくなった。そこで、公けの使いが奈良の都に出発するのに託して、この琴をあなたにお贈りしてみることにしたのだ。
藤原房前さま 大伴旅人
天平元年十月七日
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「万葉集」巻五より。
さて、@とAのうたは何と読むのかな? 万葉集の解読を命じられた「梨壺の五人」になったつもりで、「むむむ?」と解読してみまちょー。
それにしても藤原房前どのにわざわざこんな文章つけて琴を贈るとは、「お若い」どころか実は老獪な政治的配慮だったのである。