今日は、といいますか、今日も楽チンだったなー。こんなに楽チンでシアワセにしていてよいのだろうか。シアワセにしてるとそれだけで怒られるかも。
いやいや、こんなシアワセなひともいるのですから、今日のおいらレベルなんか怒ってもしようがないですよ、の意をこめて。
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うっひょっひょー。
「田舎者(野人)に話しかけられたので、ふざけながら回答する」
【その一】
日飲雲根一脈泉、 日々雲根一脈の泉に飲めば、
知君骨相自応仙。 君が骨相自ずから仙たるべきを知れり。
毎日毎日、雲の根っこである岩山から湧き出てくる泉の水を飲んでいるのであるから、
おまえさんの骨のかたちが、おのずと仙人になれるようになってきているのを、わしは知っておるぞ。
曲肱閑臥茅檐下、 肱を曲げて閑臥す、茅檐(ぼうえん)の下、
買断南山不用銭。 南山を買断するに銭を用いず。
ひじ枕をして、ごろごろ寝転がって、かやぶきの軒端の下の縁側で、
南の山の景色を、買い取ったもののように、ひとり心ゆくまで味わっている。一円のお金も払わずに。
「曲肱」(肱を曲ぐ)は、「論語」の次の言葉に拠る。
子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之。楽亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。
子曰く、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中に在り。不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲の如し。
孔先生がおっしゃった―――
(肉無しの)粗末な飯を食って、水を飲んで腹を満たす。ひじを曲げてこれを枕にしてごろごろする。そんな中にも楽しいことはあるものだ。道徳的に納得できないかたちで得た財産や身分なんてものは、わしは浮雲のように不安定なものだと思うぞ。
と。
ああ、何度読んでも美しいことばですのう。(「楽しみまたその中に在り」という「楽しみ」が、@貧乏な暮らしそのものを指すのか、A貧乏の中でもできる何か(仁の実行とか学問とか)を指すのか、によって解釈が大きく違ってきますが。)
こんなことばを若いうちに聞いてしまったので、
―――貧乏はいいことなのだなあ。ようし、おれも貧乏するぞー!
と思って生涯を誤まってしまった?ではありませんか。え?みなさんはそんなことない?
【その二】
木葉凋疏天欲霜。 木葉凋み疏にして天は霜ふらさんとす。
老懐多感易凄涼。 老懐、多く凄涼を感じやすし。
木の葉はもうしぼみ疎らになり、天が霜を降そうかという晩秋、
わしのような年寄りの心は、さびしげな寒さに感じ入りやすいものだ。
しかしそんなとき、
得君数語開人意、 君が数語を得て人意を開けり、
径就湖橋酔夕陽。 ただちに湖橋に就きて夕陽に酔わん。
おまえさんから数語のことばをかけられて、(その素朴さに)わしの心は明るくなった。
さあこれから湖橋のところまで行って、夕日を見ながら一緒に酒を飲もうか。
自ら注していう、
湖橋有村店、酒甚美。
湖橋に村店有り、酒はなはだ美なり。
湖橋のところに村の居酒屋がある。そこの酒は特段に旨い。
と。
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南宋・陸放翁「戯答野人」(「剣南詩稿」巻四十八所収)。
放翁七十七歳の作品だそうです。特に嘉泰元年(1201)。放翁はまだまだ長生きします。この翌年には久々で出仕して都に登る。帰ってきてからも、イモと米粉のスープを啜りながら、
既飽負朝陽、 既に飽けば朝陽を負う、
自愧爾何徳。 自ら愧(は)ず、爾に何の徳かある、と。
腹いっぱいになるとあとは午前の日光を背中に当てて日向ぼっこじゃ。
申し訳なくて、自分で自分に「おまえさん、どんな徳を積んだからといってこんないい目を見ているのじゃな?」と問いたいぐらいである。
というぐらいシアワセらしいですよ。(「秋思」嘉定元年(1208)より)
同じように「シアワセだシアワセだシアワセだ〜」と言いながらゆとりある富貴のうちに晩年を送った白楽天とは大いに違って、放翁はかなり貧乏で、低めの視座から、売国奴たちへの怒り、社会の矛盾への憤り、人民の困窮への批判など、不平不満をぶつぶつ言っている詩が実は多い。怒れる老詩人だったんです。おいらも不平不満をよく言うので、タイプ的に白楽天より陸放翁のファンなんです。