文化的?に思索をしてみましょう・・・ということですが自分ではしませんので、何かを考えるヒントになるようなお話、をいたしましょう。
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漢の八代目の皇帝である元帝に、賈捐之(か・えんし)が奉った上表によれば、
―――漢の三代目の皇帝に当たります文帝のとき、
有献千里馬者。
千里の馬を献ずる者有り。
一日に千里(五百キロ)を疾駆できるという馬を献上する者があった。
しかし、素晴らしい馬を得たというのに皇帝は御満足そうではなく、何か考えこんでおられるようであられました。
数日して、皇帝は熟慮の末に詔を下した。
鸞旗在前、属車在後。吉行日五十里、師行三十里。
鸞旗(らんき)前に在り、属車後(しり)えに在り。吉行のとき日に五十里、師行のとき三十里なり。
―――皇帝の馬車が出かけるときは、羽毛を以て編んだ大旗を飾った車が一番前を行き、皇帝の車の後ろにはお付きの者や荷物を積んだ車が続いていくのである。その速度は、平和なときには一日五十里(25キロ)、軍事の際には装備が増えて三十里(15キロ)とされている。
朕乗千里之馬、独先安之。
朕、千里の馬に乗ずるも、ひとり先んじてこれに安んぜんや。
―――わし(皇帝)の車は千里の馬に引っ張ってもらったとしても、ほかの車がついてこれないのでは、ひとりだけ先に行ってしまうばかりで安定した行動はできないではないか。
ということで、わざわざ
於是還馬。
ここにおいて馬を還す。
千里の馬を献上者に返した。
のだそうでございます。
よくよく考えると不要なモノはいろいろございます。不要なモノのために出費してはなりません・・・
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というのが賈捐之の上表の趣旨でございます。「文帝還馬」(文帝馬を還す)というお話。「漢書」巻六十四下「賈捐之列伝」より。
「護送船団方式」が正しい、とは思いませんが、脚の速いのが一人いても困ってしまうのは確かでございましょう。
休日が続くとこんな立派なお話?もできるのですが、明日はもう・・・(T_T)。