平成26年10月28日(火)  目次へ  前回に戻る

 

ツラい日々が続く。強く、たくましく生きなければならない。

・・・・・・・・・・・・・・

欧州には

博爾都阿拉

という国があるらしいのです。なんと読むのかな? 「阿」は「呵」の間違いかも知れないので ぼるとがら? 変な名前ですね。この国は欧州のさらに西の海のほとりにある、最西の国なのだそうでございます。

この国が康熙十七年(1678)にチャイナに使いを送って来て、強くたくましい獅子一頭と、その世話をする蛮人一人を献上してきたのであった。

獅形稍類於虎、亳含金色、浅淡如灰。

獅は形やや虎に類し、亳は金色の浅く淡きこと灰の如きを含めり。

獅子の体型はちょっとトラに似ている(ネコ科ですからね)。細かい毛は、灰色の中に黄金をうっすらと混ぜたような色をしている。

其尾像払、熟睡時毎揺動。示人不寐。

その尾は払(ほつ)に像(に)、熟睡時もつねに搖動す。人に寐(い)ねざるを示すなり。

そのシッポは払子のようにふさふさしていおり、ぐっすり眠っているときでもいつもぶらぶらと揺れている。けだしこれは、人に「眠ってはいない」と思わせるためであると思われる。

不思議なことには、

頸項相撃、則烟焔飛出。

頸・項あい撃てば、烟・焔飛びて出づ。

首とうなじをぶつけあうと、煙や炎が飛び出してくるのであった。

さて、その生態を見るに、

食禽獣用口一吹、羽毛皆落。

禽獣を食らうに口を用いて一吹きすれば、羽毛みな落ちたり。

ドウブツや鳥の肉を食らうのだが、その際に「ふう!」と息を一吹き吹きかけると、ドウブツや鳥の羽毛はすべて剥げ落ちてしまう。

のであった。

伝えられるところでは、獅子は、

宿必曠野。不処山隅。

宿るに必ず曠野なり。山隅には処(お)らず。

寝泊りするのは、必ず四方の開けた原野である。山のくまなどには間違っても棲まない。

なぜなら、

以彰無懼。

以て懼れ無きを彰かにすなり。

それによって、ナニモノをも恐れていない、ということを外部に表示するためである。

ニンゲンは獅子に遭遇すると、ふつう食べられます。しかし、

向之伏処哀悲、即為捨去、反護其行。

これに向かいて伏して哀悲を処するに、すなわちために捨て去り、かえってその行を護る。

獅子に向かって土下座して悲しみを現わし哀れを乞えば、そのために放っておいてもらえることがある。こんなときには、却って無事に家に帰れるよう、ほかのドウブツたちから護ってもらえるのである。

獅子は、子どもができますと、この子どもたちを深い洞窟の中に住まわせる。

これは子獅子を捕らえようとするニンゲンがいるからで、獅子は外からこの洞窟に戻るときには、

足之所履、以尾払去其泥、使人不可踪跡。

足の履むところ、尾を以てその泥を払い去りて、人をして踪跡すべからざらしむ。

足の踏んだところを(払子のような)シッポで泥をならして、足跡を消して帰ってくるのである。これはニンゲンに迹をつけられないようにするためなのだ。

それでもニンゲンの欲望は限りがないので、ついに洞窟を突き止められることがある。

人盗其子、獅忽追至。

ひと、その子を盗むに、獅たちまち追い至る。

ニンゲンがかわいい子獅子を盗みとって、飼いならすために連れ帰ろうとすると。獅子はこれに気づいて、すさまじい速さで追いかけてくるのである。

けれどもそのときには

擲毬与之。

毬を擲ちてこれに与う。

追ってきた獅子に、ボールを投げ与えてやるといいのだ。

獅子はボールが大好きなので、ボールが与えられると、

獅且搏跳。

獅、まさに搏(う)ち、跳ばんとす。

獅子はボールを手にとろうとしたり、そのまわりを飛び跳ねたりしてしまうのだ。

ほんとうかなあ? 限りなくうそっぽいのですが、ネコ科だからほんとうかも知れません。

三追三擲、遂捨其子、震吼而帰。

三たび追われて三たび擲たば、ついにその子を捨てて、震吼して帰れり。

三回追われ、三回ボールを投げつけてやると、獅子はとうとう子獅子を取り返すのを止め、カミナリのような吼え声をあげると、もう振り返りもせずに帰って行くのである。

子どもが束縛であり、ボールを自由である、とすれば、彼らの行動も理解できないことはないであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・

清・陸次雲「八紘譯史」巻二より。

なんとなんと―――獅子のように強く気高くたくましいドウブツでも、ニンゲンの悪賢さには勝てないのだということがわかります。おいらみたいなのがニンゲンさまに敵うわけがないのだ。ニンゲン社会で怒られたり叱られたりですんでいるうちは、ありがたいぐらいなのだと思わねばなるまい。

 

表紙へ 次へ