ツラい日々が続く。強く、たくましく生きなければならない。
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欧州には
博爾都阿拉
という国があるらしいのです。なんと読むのかな? 「阿」は「呵」の間違いかも知れないので ぼるとがら? 変な名前ですね。この国は欧州のさらに西の海のほとりにある、最西の国なのだそうでございます。
この国が康熙十七年(1678)にチャイナに使いを送って来て、強くたくましい獅子一頭と、その世話をする蛮人一人を献上してきたのであった。
獅形稍類於虎、亳含金色、浅淡如灰。
獅は形やや虎に類し、亳は金色の浅く淡きこと灰の如きを含めり。
獅子の体型はちょっとトラに似ている(ネコ科ですからね)。細かい毛は、灰色の中に黄金をうっすらと混ぜたような色をしている。
其尾像払、熟睡時毎揺動。示人不寐。
その尾は払(ほつ)に像(に)、熟睡時もつねに搖動す。人に寐(い)ねざるを示すなり。
そのシッポは払子のようにふさふさしていおり、ぐっすり眠っているときでもいつもぶらぶらと揺れている。けだしこれは、人に「眠ってはいない」と思わせるためであると思われる。
不思議なことには、
頸項相撃、則烟焔飛出。
頸・項あい撃てば、烟・焔飛びて出づ。
首とうなじをぶつけあうと、煙や炎が飛び出してくるのであった。
さて、その生態を見るに、
食禽獣用口一吹、羽毛皆落。
禽獣を食らうに口を用いて一吹きすれば、羽毛みな落ちたり。
ドウブツや鳥の肉を食らうのだが、その際に「ふう!」と息を一吹き吹きかけると、ドウブツや鳥の羽毛はすべて剥げ落ちてしまう。
のであった。
伝えられるところでは、獅子は、
宿必曠野。不処山隅。
宿るに必ず曠野なり。山隅には処(お)らず。
寝泊りするのは、必ず四方の開けた原野である。山のくまなどには間違っても棲まない。
なぜなら、
以彰無懼。
以て懼れ無きを彰かにすなり。
それによって、ナニモノをも恐れていない、ということを外部に表示するためである。
ニンゲンは獅子に遭遇すると、ふつう食べられます。しかし、
向之伏処哀悲、即為捨去、反護其行。
これに向かいて伏して哀悲を処するに、すなわちために捨て去り、かえってその行を護る。
獅子に向かって土下座して悲しみを現わし哀れを乞えば、そのために放っておいてもらえることがある。こんなときには、却って無事に家に帰れるよう、ほかのドウブツたちから護ってもらえるのである。
獅子は、子どもができますと、この子どもたちを深い洞窟の中に住まわせる。
これは子獅子を捕らえようとするニンゲンがいるからで、獅子は外からこの洞窟に戻るときには、
足之所履、以尾払去其泥、使人不可踪跡。
足の履むところ、尾を以てその泥を払い去りて、人をして踪跡すべからざらしむ。
足の踏んだところを(払子のような)シッポで泥をならして、足跡を消して帰ってくるのである。これはニンゲンに迹をつけられないようにするためなのだ。
それでもニンゲンの欲望は限りがないので、ついに洞窟を突き止められることがある。
人盗其子、獅忽追至。
ひと、その子を盗むに、獅たちまち追い至る。
ニンゲンがかわいい子獅子を盗みとって、飼いならすために連れ帰ろうとすると。獅子はこれに気づいて、すさまじい速さで追いかけてくるのである。
けれどもそのときには
擲毬与之。
毬を擲ちてこれに与う。
追ってきた獅子に、ボールを投げ与えてやるといいのだ。
獅子はボールが大好きなので、ボールが与えられると、
獅且搏跳。
獅、まさに搏(う)ち、跳ばんとす。
獅子はボールを手にとろうとしたり、そのまわりを飛び跳ねたりしてしまうのだ。
ほんとうかなあ? 限りなくうそっぽいのですが、ネコ科だからほんとうかも知れません。
三追三擲、遂捨其子、震吼而帰。
三たび追われて三たび擲たば、ついにその子を捨てて、震吼して帰れり。
三回追われ、三回ボールを投げつけてやると、獅子はとうとう子獅子を取り返すのを止め、カミナリのような吼え声をあげると、もう振り返りもせずに帰って行くのである。
子どもが束縛であり、ボールを自由である、とすれば、彼らの行動も理解できないことはないであろう。
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清・陸次雲「八紘譯史」巻二より。
なんとなんと―――獅子のように強く気高くたくましいドウブツでも、ニンゲンの悪賢さには勝てないのだということがわかります。おいらみたいなのがニンゲンさまに敵うわけがないのだ。ニンゲン社会で怒られたり叱られたりですんでいるうちは、ありがたいぐらいなのだと思わねばなるまい。