平成26年10月29日(水)  目次へ  前回に戻る

 

まだ水曜日。いったい今週はいつになったら終わるんや?

もう疲れたので、姿をくらましてしまおうカナ。

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そういえば、

不見李生久。  李生を見ざること、久しきかな。  

佯狂真可哀。  佯(いつ)わり狂えるは真に哀れむべし。

 李さんの姿を見なくなって、ずいぶんになるぞ。

 あのひとはぶっ飛んだことばかりして、狂ったふりをして生きていたので、ほんとうにかわいそうであった。

この「李さん」とは李白のこと。李白は安禄山の乱のとき、永王・李璘の幕僚になったが、この永王が兄の粛宗皇帝に叛いたことになってしまい、李白も反乱軍の一員ということになってしまって、西南の僻地・夜郎に流されてしまった。(事実はこの途上で恩赦にあって江南に舞い戻っているのだが、このときはまだその情報も無く、世間のひとたちは李白は連絡もとれない雲貴の山奥で行方不明になっている、と信ぜられていたのである)

世人皆欲殺、  世人はみな殺さんと欲するも、

吾意独憐才。  吾が意はひとり才を憐れめり。

 世の中には「あいつは(反乱軍だし)殺してしまえ」という人も多いが、

 わたしどもだけは、心の中であの人の才能には感激しているのである。

なにしろ、

敏捷詩千首、  敏捷にして詩千首、

飄零酒一杯。  飄零して酒一杯のみならん。

あっという間にすばやく千篇の詩を作れる人であった。

しかし今は、落ちぶれてふらふらしおしおと、一杯の酒をしみじみ味わっていることであろう。

わたしは今、四川に住んでいるのですが、彼はここ四川の出身であった。

かつて河南あたりで出会って、いろいろ身の上話をしあったときに聞いたところでは、

匡山読書処。  匡山(きょうざん)は読書せしところなり、と。

頭白好帰来。  頭の白くして帰り来たるに好(よろ)しからん。

 かなたに見える匡山こそ、彼が若くして籠って読書したところであったはず。

 髪の白い老年になったのだ、一度ここに帰って来てもよかろうに。

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唐・杜甫「不見」(見ず)詩。

自由を求めて姿をくらましたひとが、またそこに帰って来たがるはずないじゃないですか。ぜったい帰って来ない(と思う)よ。わたしもまた。

 

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