今日も煮られて熱かった。空飛ぶ靴を得て遠く、沖縄、いやもっと遠くに行ってしまいたい。
・・・・・・・・・・・・・・
さて、後漢の王喬は河東のひと、明帝(在位57〜75)のころ河南・葉県の令になった。
葉県は都の洛陽から数百キロ離れていたが、王喬は
毎月朔望常自県詣台朝。
毎月朔望、常に県より台朝に詣れり。
毎月毎月、朔日と十五日に開かれる朝廷の会合には、県からはるばる出席しにくるのであった。
「なぜやつは半月に一回、いつも朝廷まで出てこれるのだろう?」
帝怪其来数而不見車騎、密令太史伺望之。
帝、その来たることしばしばなるに車騎を見ざるを怪しみ、ひそかに太史をしてこれを伺望せしむ。
皇帝は王喬が頻繁に現れるのに、その馬や馬車を見かけたことがないのを非常に不思議に思われ、秘書官に命じてその行動をひそかに見張らせた。
太史の報告によると―――
「まことに不思議なことでございますが、
其臨至、輙有双鳧従東南飛来。
その臨至するや、すなわち双鳧(そうふ)の東南より飛び来たる有り。
あやつがその姿を見せるときになると、必ず二羽のカモが東南の葉県の方角から、飛んで来るのが観察されました。
この二羽のカモが朝廷の門前に降りた、とみえたその直後に、カモはいなくなってあやつがクツを履いてそこに立っておるのでございます」
「なるほど。それならば・・・」
帝は新たな命を下した。
於是候鳧至挙羅張之。
ここにおいて、鳧の至るを候(うか)がいて羅を挙げてこれを張る。
今度は、そのカモが飛んできたそのときを見計らって、網を挙げてこれを捕らえさせたのであった。
「よっしゃ、捕まえた!」
と網の中を見ると、カモなどおらず、
但得一隻舄焉。
ただ一隻の舄(シャ)を得るのみ。
一足のクツが入っているだけであった。
「むむむ・・・」
帝、その舄(くつ)を手もとに取り寄せて、よくよく御覧になるに、
四年中所賜尚書官属履也。
四年中に尚書の官属に賜うところの履なり。
以前、即位四年目のころに尚書省に所属していた役人たちに特別に支給したクツであった。
この月、王喬は朝廷に姿を見せなかった。
ところが、宮中に仕舞っておいたはずのクツが半月ほどしたとき無くなってしまい、翌月になると、また朔日と十五日、決まって王喬の姿を朝廷の会合で見かけるようになった。
・・・・・・・・・・・・
「後漢書」巻112上・方術伝より。「蒙求」にいう「王喬双鳧」という故事でございます。
しかしこのひと、なぜに空が飛べるのに、わざわざ都にしごとをしに来ていたのか。