平成26年9月11日(木)  目次へ  前回に戻る

 

ニンゲンには得意なことと苦手なことがありますから、わしもわらじを編んで暮らしておりますのじゃ。でっぷりと肥満していますが。

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戦国の時代、宋の国に曹商というひとがあって、宋王の使者として秦に赴いたところ、秦王(恵王(在位前337〜前311)であろうという)の前での応対がたいへん爽やかであったので、秦王大いに悦んで、褒美をたくさんくれたのであった。

其往也、得車数乗、王説之、益車百乗。

その往くや車を得ること数乗にして、王これを説(よろこ)びて車を益すこと百乗なり。

「一乗」は四頭立ての馬車一台。

出かけるときは何とか数台の馬車を仕立てて行ったのだが、相手の王さまが喜んで褒美をくれたので、百台の馬車を増やして帰ってきた。

宋に帰ってくると、知り合いの荘子のところにやってきました。

にやにやして、曰く、

夫処窮閭阨巷、困窘織屨、槀項黄馘者、商之所短也。一悟万乗之主而従車百乗者、商之所長也。

それ、窮閭阨巷に処し、困窘して屨を織り、槀項にして黄馘(こうかく)なるは、商の短なるところなり。一たび万乗の主を悟らしめて車百乗を従うるは、商の長ずるところなり。

「いやはや、(こういう)キタナい街角の狭い小路の家に暮らし、生活に苦しんでワラジを編んで売り、痩せこけたうなじに栄養失調で黄色い顔をして生きていくのは、この曹商には苦手なことでした。ひとたび一万台の戦車を保有する大国の君主に才能を見せつけ、百台の馬車を従えて郷里に帰ってくるということこそ、この曹商の得意技でございましたのじゃ。

わはははー」

荘子は座ったままうるさそうに曹商を見上げて、曰く、

「そういえば・・・

秦王有病召医、破瘍潰痤者得車一乗、舐痔者得車五乗。所治愈下、得車愈多。

秦王病有りて医を召し、瘍を破り痤を潰す者は車一乗を得、痔を舐むる者は車五乗を得たり。治するところいよいよ下れば、車を得ること愈いよ多し。

秦の王さまが病気になったので、治療してくれる者を募集しているというウワサだったが・・・。確かデキモノやコブを破り潰してくれた者には馬車一台分の褒美が出るが、尻の痔を舐めてくれた者には馬車五台分の褒美が出るとのこと。治すところが下等になればなるほど褒美の馬車はたくさんもらえるということであった。

子豈治其痔邪。何得車之多也。

子はあにその痔を治せるか。何ぞ車を得ることの多きや。

おまえさんは、その痔の治療に行ってきたのかな。それにしては馬車が多いようだから、何度も何度もお舐めしたのかのう?」

「な、なんじゃと・・・」

曹商言い返そうとしたが、荘子はにやりと笑い、

子行矣。

子行け。

「さあ、帰った、帰った」

と言って横を向くと、もう取り合おうとはしなかった。

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「荘子」列禦寇篇第三十二より。かっこいい。が、うらやましくてイヤミを言っているだけにも見えます。

 

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