やっと週末だー。しかし、週末は来週への旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし・・・。
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紀元前552年のことです。
楚の宰相にあたる令尹の子庚が亡くなったので、楚王は遠※子馮(「遠」と表記していますが実際はその上にクサカンムリが乗る字。「イ」)を令尹に任じようとした。
名誉なことではございますが、子馮はあまり気が進まない。
「う〜ん。どうしようか」
子馮は賢者と評判の大夫・申叔予のもとを訪れ、身の振り方を訊ねた。。
叔予曰く、
国多寵而王弱、国不可為也。
国に寵多くして王弱し、国為すべからざるなり。
「国内に王のお気に入りが多すぎます。そして王ご自身は決断力をお持ちでない。この国を治めることはできますまい」
「そうだよな」
子馮は病気を理由に職に就かないことに決めた。
子馮から「病気なので令尹の職をお断りせざるを得ない」との申し出を受けた楚王は、ただちに
使医視之。
医をしてこれを視せしむ。
医師を派遣して診断させた。
時に暑い盛りであったが、子馮は
重絋、衣裘、鮮食而寝。
絋を重ね、裘を衣て、食を鮮(すくな)くして寝ねたり。
ワタを入れた服を何枚も重ね、その上に毛皮の上着を着て、食べ物もあまり食べずに寝ていた。
医師は診察を終え、王宮に帰って王に報告した。
瘠則甚矣。而血気未動。
瘠せること甚しきかな。しかれども血気はいまだ動かず。
「たいへんお痩せになっておられました。しかし脈を診てみましたところ、平常時のような脈でいらっしゃいました」
「そうか。この暑い季節に綿入れや毛皮の上着を着込んで寝て、それでも脈があがらないようでは、かなり衰弱しているのであろう」
王はいとこの子南を代わって令尹に任じた。
実は子馮は、
闕地、下冰而床焉。
地を闕(か)き、冰を下にして床せるなり。
地面を掘り下げてそこに氷を敷き、その上に床を延べて寝ていたのである。
涼しくして寝ていたのである。(なお「冰」についてはこちら参照→9月5日)
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「春秋左氏伝」襄公二十一年夏条。
最近また肥満してきたので何とかしなければならない。