平成26年9月2日(火)  目次へ  前回に戻る

 

太平の世には聖なるドウブツが出現するものでございます。ゲンダイは世界中が平和ですから、そろそろ出現するのかな。

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明の正徳年間(1506〜1521)、河南において「麒麟」が発見された。

発見されたときに生きていたのか、すでに死んでいたのか、それさえわかりませんが、いずれにせよ死んだ。

その骸は役所に没収され、

貯鄴郡庫中。

鄴郡の庫中に貯えらる。

鄴郡の役所の倉庫に保存された。

その後、某というひとが同郡の太守となったときに

割取麟之一臂、蔵於家。

麟の一臂を割取して、家に蔵せり。

(けしからんことですが)倉庫の中の麒麟の前足の一本を切り取って、帰任するときに持って帰り、自宅に所蔵した。

時は流れて、清の世になり、わたし(←肝冷斎にあらず、宋牧仲さん)の本家の宋宗玉おじさんは、某家に出入りすることがあって、

親見之。

親しくこれを見たり。

みずからこの「麒麟の足」を見たのだそうだ。

その言うところでは、

方鱗黄色、光潤如蝋珀。鱗四周五彩環繞如月華状。

方鱗にして黄色、光潤なること蝋珀の如し。鱗の四周に五彩の環の月華の状の如きもの、繞(めぐ)れり。

ウロコは四角で黄色、しっとりとしながら光沢を含んでいること、蝋や琥珀のようである。また、ウロコの外周には、月にかかる暈のようにぼんやりと(赤・白・黒・青・黄の)五色の環がぐるりとめぐっていた。

このことは、

為従来伝説所未及。

従来の伝説のいまだ及ばざるところたり。

これまでの各種の記録にはまだ記録されていない新たな事実である。

ので、ここに記録しておく。

―――なるほど。おかげで貴重な記録が残りました。おじさんが自ら見た、というのですから、ホンモノなのでしょうなあ。

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清・宋牧仲「筠廊偶筆」巻上より。

宋牧仲、の牧仲は字で、名はクサカンムリにワカンムリに「牛」という字なので表記できません。河南・商丘のひとで、漫堂、あるいは西陂老人と号し、康熙時代に王漁とその詩名をひとしくしたという。

 

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