平成26年8月26日(火)  目次へ  前回に戻る

粕でもいいのだが。

恐怖の火曜日がやっと終わり。しかしまだ恐怖の三日間が待っている。特に明日はラスボスクラスの恐怖の一日。どうなってしまうのかな?

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いろいろつらいのでおシャカさまにでも助けていただきたい日々ですが、ではおシャカさまが何を説いていたのかというとわたしなどにはホントはよくわからない。(そんなに難しいことを説いていたのではないと思いますが)

さて、郁離(いくり)先生の家にはいろんなひとが訪ねてくるのでしたが、

客有好仏者。

客に仏を好む者有り。

その中に、仏教が大好き、というひとがいた。

このひと、郁離先生をはじめ誰かと理屈を闘わせるごとに、

必以其説駕之、欣欣然自以為有独得焉。

必ずその説を以てこれに駕し、欣欣然(きんきんぜん)として自ら以て独得する有りと為せり。

必ず仏教の教えによって相手を言い負かせ、議論に勝つと大喜びで自分は誰にも教えを承けずに独学でここまでになったのだ、と誇るのであった。

郁離先生、あるとき、このひとに向かって言う―――

昔者魯人不能為酒。惟中山之人善醸千日之酒、魯人求其方弗得。

むかし、魯の人、酒を為(つく)るあたわず。ただ中山の人のみ、善く千日の酒を醸すも、魯の人その方を求むるも得ざるなり。

むかしむかし大むかし、魯の国のひとは善いお酒を造る方法を知らなかった。そのころ、山西の中山国の人のみが、千日も醒めない銘酒を造っていて、魯のひとたちはその作り方を知りたがっていたが、なかなか情報を入手できないでいたのである。

あるひと、中山に赴き、酒造家に雇ってもらったが、酒造りの詳細はわからない。

ついに

取其糟帰、以魯酒漬之、謂人曰中山之酒也。

その糟を取りて帰り、魯酒を以てこれを漬け、人に謂うて曰く、「中山の酒なり」と。

その家で棄てられていた酒粕を盗んで魯に帰り、これを魯のお酒の中に漬けこんで、ひとびとには「これが中山の銘酒だ」と言って販売したのであった。

魯の人たちは本場の酒を知らなんだので、

飲之、皆以為中山之酒也。

これを飲みて、みな以て中山の酒なりと為す。

このお酒を飲んで、みんな「いやー、これが中山の銘酒か!」と大喜びしていた。

その後、中山の酒造家が用務あって魯にやってきた。

彼が中山国から来たと聞いて魯のひとたちがみな「我が国にも中山の酒がありますぞ」と誇るので、

索而飲之。

これを索(もと)めて飲めり。

その酒を入手して飲んでみた。

そのひと、これを口に含むなり、

「ぶひゃー! なんじゃこりゃ」

吐而笑曰、是予之糟液也。

吐きて笑いて曰く、「これ、予の糟液なり」と。

酒を吐き出し、大笑いして言うに、

「これはわしの家の搾りかすの汁ではないか」

と。

―――さてさて。

郁離先生、仏教を好む者に言うた。

今、子以仏誇予可也。吾恐真仏之笑子竊其糟也。

今、子の仏を以て予に誇るは可なり。吾は恐る、真仏の、子のその糟を竊(ぬす)めるを笑うことを。

一応のところ、おまえさんが仏の教えを使ってわしらを言い負かしているのは、それはそれでいいのだが―――。わしが心配でならぬのは、ほとけさまは、おまえさんが自分のところから糟を盗んで行ったくせに、なんとも不味い粕汁を作っているものだなあ、とお笑いになっていないかな・・・ということなのじゃ」

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ちゃんちゃん。明・劉基「郁離子」巻下より。

勉強になりましたか?

「勉強になりまちたー!」と思うひとはちゃんと反省してくださいよ。あなたも誰かの糟汁を作っているだけだと思いますよ。「勉強になりませんよー」と思ったひとは、もうどうしようも・・・。いや、まだ治るかも知れないから、見放すことはできないのだが・・・。

 

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