岡本全勝さんのHPによれば、全勝さんの本が某大学の試験問題に使われたそうです。快挙ですね。
・・・しかし、まだ火曜日。平日があと三日もある。何とか状況を変えねば・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宋の末ごろのことだそうでございますが、
有狂士人於市井売小児学書字本。
狂士人の、市井に小児の書字を学ぶの本を売れる有り。
街中で子どもの習字用のお手本を売っているたいへん変わった士人(読書人階級のひと)がいた。
値段は銭一緡で三冊。
毎遇人問、即随口成詩。
人の問うに遇うごとに、即ち口に随いて詩を成す。
誰かが声をかけるたびに、すぐに即興の詩を歌いだす。
南宋のはじめごろに張山人というひとがいて、誰かが「○○はどうなるか?」と声をかけると即興で詩を歌いだす。その詩がそのまま予言になっていてこれがよく当たる、というので評判になったが、この士人はその同類であったのだろう。ただし、彼の詩は予言にも何もなっておらず、何を言っているのかも明瞭ではなかった点が違うところであった。
ところで、このころは軍政両面にわたって賈似道が専権を揮っていたころであったが、このひとは、
毎遭面罵。
遭うことに面罵せり。
賈似道の行列に出会うたびに、大声で賈を罵りちらすのであった。
しかし相手は変人だとわかっているので、
亦無如之何。
またこれを如何ともする無し。
専権を揮った賈似道といえども、どうすることもできなかった。
そんなこともあって建康の街ではかなり有名なひとであったが、
其字本未嘗有買者。
その字本、いまだ嘗て買う者有らず。
その文字のお手本は、誰ひとりも買うものがなかった。
そうである。
「あのおとこは実はまともなのではないか」というひともあったが、このひと時折発作を起こす。
已而狂発、必尽扯碎衣服巾履、皆不暇顧。
已に狂発すれば、必ず衣服巾履(い・ふく・きん・り)ことごとく扯碎(たさい)し、みな顧みるにいとまあらず。
ひとたび発作が起こりますと、必ず着ている衣服、かぶっている頭巾、履いている履物をすべて、あっという間に引き裂いてしまう。止めようとしてもそのひまも無いぐらいである。
なので、やはり変だったのであろう。
ひとびとこのひとを憐れんで、
多与之銭。
多くこれに銭を与うるなり。
お金を恵んでやったのであった。
彼は元の世の中になってもまだ生きていたが、至元壬午年(1282)に親族に引き取られて死んだ。時代の変化するときにはこういうひとがよく出ますが、ほんとに変だったのか、佯(いつわ)って変だったのか、今となっては知るすべもない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
元・吾衍「闍序^」より。
さて、この肝稗道人も、いつまでもこのまま生きているわけにもいかぬので、いっちょうババーン!と起業しまして、街中で子ども相手に「試験に出る岡本全勝氏の本」でも売りますかな。そして権力者の行列を見かけてはこれを罵ったり、「肝稗道人はほんとはまともなのではないか?」という人がいたりしたら、時々「ぴきいい!」と叫んで衣服を破いたりしながら暮らしますかね。どうせ立派な服なんか無いんだし。