平成26年6月11日(水)  目次へ  前回に戻る

 

まだ平日があと二日も続く!平日は会社に行かないといけないので、籠の中のおサルさんみたいなものですよ。

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―――籠の中のおサルさんはどうなるんですか?

籠中之猿踴躍万変不能出於籠。

籠中の猿、踴躍万変するも籠より出づることあたわず。

籠の中のおサルさんは、跳びはねたりいろんなことをするけれど、どうしても籠から出ることはできない。

―――檻の中のトラはどうなるんですか?

匣中之虎狂怒万変不能出於匣。

匣中の虎、狂怒万変するも匣より出づることあたわず。

檻の中のトラは、狂ったように忿怒しいろんなことをするけれど、どうしても檻から出ることはできない。

同様に、

小人之機智慮万変不能出於大人之道。

小人の機、智慮万変するも大人の道を出づるあたわず。

凡人の考えは、智慧を働かせていろんなことをするけれど、どうしても「大いなる人たちのルール」から外に出ることはできないのだ。

―――では、その「大いなる人たち」というのは、どのように動いているのですか。

如地之負、如天之垂、無日不怨、無人不欺。

地の負うが如く、天の垂るるが如く、日として怨みざる無く、人として欺かざる無きなり。

大地が永遠に物を載せ、天空がいかなる時も物の上を覆っているように、どんな時にも怨み、どんな相手をもあざむくのが大いなる人たちのやり方だ。

―――そうだったのか! 大いなる人は、どんな時にも怨み、どんな相手もあざむくものなのだ。・・・しかしそれでは「大いなる人たち」は、「悪」なのではありませんか?

大いなる人たちは「悪」ではない。彼らは

怨不我怒、欺不我夷。

我が怒りならざるを怨み、我が夷(ともがら)ならざるを欺くなり。

自分の怒りのためではなく、世界中の不満を持つ誰かのかわりに怨み、できるだけ公平な世の中にしようとするのである。また、自分のようには世界の真理に気づいておらず、ほんとうのことを言っても理解できない凡人たちを欺いて、少しでも善い方向に向かわせようとするのである。

大いなる人たちがこのように働いて、

然後万物知其所帰。

しかる後、万物その帰するところを知る。

それでようやく、あらゆる人と物は、そのあるべき場所を弁えるのじゃ。

なので、凡人どもは大いなるひとたちの定めたルールの中で大人しくしておればよいのじゃ!

―――というのですが、おサルさんは籠の中で、トラは檻の中で、それぞれおとなしくしているはずがありません。おいらも籠の中から出ようと明日もジタバタすることでしょう。

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五代・譚峭「斉丘子」第三より。

道家の説教はこういうことになります。「何も考えずに与えられた道を行けばよい、考えても考えなくても同じところに行くのだから」というのは一面の真理ではありますから。おいらもジタバタはしても結局は籠の中のままさ。籠の外は中よりも怖ろしいところなのさ。毎日毎日たいやきくんなのさ。

 

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