今日は飲み会、中華食べ放題三時間。苦しい。
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(前略)
・・・戦国の説客・蘇秦は北に遊説して合従に成功したが、最後は斉で暗殺された。秦の丞相・李斯は上申書を出して秦に二心無きを誓い政柄を握ったが、始皇帝の死後誅殺された。
彼らは、
俛仰生栄華、 俛(ふ)し、仰ぎ、栄華を生ずるも、
咄嗟復彫枯。 咄嗟にまた彫(しぼ)み枯れたり。
「俛」は「伏す、俯く」。「咄嗟」は「咄」(うう)、「嗟」(ああ)と声を出す短い間。「つかのま」「たちどころ」。「彫」はここでは「凋」(しぼむ)と同義。
うつむき、仰ぎ見るわずかな時間の間に栄華に登り詰めたかと思うと、
ううと呻き、ああと嘆じるつかの間に落ちぶれていったのだ。
ニンゲン、たとえ富貴を得るとしてもそれらは一瞬の間にこの手からすり抜けて行くものである。
飲河期満腹、 河に飲むも腹に満つるを期とし、※
貴足不願余。 足るを貴びて余るを願わず。
たとえ黄河いっぱいの水が飲めるとしても、自分の腹にいっぱいになればそれで終わりだ。
足りることがありがたいのであって、余りがあっても何にもならぬ。
巣林棲一枝、 林に巣くいて一枝に棲むは、※
可為達士模。 達士の模と為すべし。
鳥が林に巣を作るにも枝一本を占めれば足りるのである。
これこそ良きおのこの手本とすべきことではないか。
といいますのに、今日は満腹を通り越してしまって苦しい。わしほどの「達士」がこんなことになるとはのう・・・。
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晋・左思「詠史詩」第八より(「文選」巻八所収)。
ちなみに※の二句は、「荘子」逍遥游篇の
鶺鴒巣林不過一枝、偃鼠飲河不過満腹。
鶺鴒は林に巣くうも一枝に過ぎず、偃鼠は河に飲むも満腹に過ぎず。
セキレイ鳥は林に巣をつくるが、棲むのに一本の枝しか必要としない。もぐらネズミは黄河で水を飲んでも、自分の腹をいっぱいにすれば終わりだ。
という美しい言葉に拠る。
「座って半畳、寝て一畳」でござるよ。