平成26年5月3日(土)  目次へ  前回に戻る

 

こんなこともあるんですなあ。

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五代の終わりから宋にかけての頃のことだそうですが、四川・青城の李克明という漁師が、

釣帰、傾其魚於竹器中。

釣帰して、その魚を竹器中に傾く。

釣りから帰ってきて、竹の籠を傾けて入れてきた魚を採りだそうとした。

と―――

ごろんごろん。

と籠の中で転がるものがある。

有一魚化為石。長四寸許、鱗鬣燦然若活。

一魚の化して石と為る有り。長さ四寸ばかり、鱗・鬣、燦然として活けるがごとし。

一匹の魚が石になってしまっていたのだ。長さは10数センチ、ウロコやヒレなど、はっきりとしていて生きているかのようである。

「いいオモチャになるね」

克明の女房、これを見てたいそう気に入り、幼い子どもに与えて遊ばせた。

其豎子将石魚於椀水中、或揺鬣振鱗浮泳而活。

その豎子、石魚を椀水中にひきいるるに、あるいは鬣を揺らし鱗を振るいて浮泳して活せり。

その幼な子がこの石魚をお椀に入れた水の中に「ぼちょん」と入れたところ、なんと、なんと! ヒレを揺らしウロコをうねらせて浮き上がって泳ぎはじめたではないか。生き返ったのだ。

「うひゃー」

漁師も女房も大いに驚いた。

そこでこれを土甕に水を入れて石魚を移し換えた。

この話が広がり、

隣里求観者衆。

隣里の観るを求むる者衆(おお)し。

となり近所の村村から、たくさんのひとがこれを見に来た。

みなの見る前で魚は、

在水則活、離水則為石。

水に在りてはすなわち活き、水を離るればすなわち石と為る。

水に入れると生き返り、水から出すと石に変化するのである。

「すごいのう」「不思議じゃのう」「ありがたや」

とたいへん評判になった。

柏虚舟という役人が巡視に来てこの話を聞きつけて、おともを引き連れ、

「祥瑞として中央政府に報告せねばならぬかも知れぬからのう、見せてもらわねばのう」

とやってきた。

「なるほど、これであるか。生きているかのように見えるのう」

柏虚舟が

取此魚看、敲之中断。

この魚を取りて看、これを敲きて中断す。

石の状態だ、といわれたその魚を手にし、こんこんと叩いて

「たしかに石の音がするのう」

と言っていたところ、ぽきん、と真ん中のところで折れてしまった。

「あわわ、折れちゃったよ!!!!!!!!」

致于水中、不復活矣。

水中に致すも、復活せず。

もう水の中に入れても、生き返ることは無かった。

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宋・黄休復「茅亭客話」巻九より。

ぽきんと折っちゃったときの気マズそうな雰囲気がひしひしと伝わってまいりますが、どこまで本当のことなのでしょうか。柏虚舟さんがまったく騙されているようにも見えますし、実は柏虚舟さん自身が読書人仲間を面白がらせようとして作った話にも見えますし、あるいはすべてがほんとうのことなのかも知れません。

「茅亭客話」十巻は黄休復が五代から宋の初めごろにかけての四川の出来事を記したもの。清・紀暁嵐らの「四庫全書提要」

在小説之中、最為近理。

小説の中に在りては最も理に近しと為す。

くだらんことを書き集めた「小説」といわれる部類においては、もっとも真理に近い内容を持っておる。

と評さる。

ということはかなり本当なのであろう・・・・・・・・か?

 

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