なんと明日はもう月曜日。また会社へ行かないと・・・。仮病作戦もだいぶ使ってしまいました。進退窮まってまいりました。
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「進退が窮まる」とどうなるのか。
この語はもともと、周の脂、(前9世紀)の悪政を批判したという「詩経」大雅「桑柔」篇の第九連(第9スタンザ)に出てくる言葉です。
人亦有言、進退維谷。
ひとまた言う有り、「進退これ谷なり」と。
(こんなときに)あるひとが言った、「進むも退くも「谷」なのだ」と。
この「谷」を一般に「窮まる」と解して、「うひゃひゃ、進退窮まりまちた〜」と使っている。
進退窮まったらどうなるか、と言いますと、次のようになります。
―――楚の国に申鳴という士がいて、畑を耕して父母を養っており、たいへん孝行者だと国中の評判であった。
そこで楚王が召し抱えたいと呼び出したが、申鳴は応じようとしない。
このようすを見て、父が言った、
王欲用汝、何謂辞之。
王、汝を用いんとするに、これを辞するとは何の謂いぞ。
「王さまがおまえを用いたいというのに、これをお断りするとは、どういうことじゃ」
申鳴曰く、
何舎為孝子、乃為王忠臣乎。
何ぞ孝子たるを舎(お)いて、すなわち王の忠臣と為らんや。
「どうして、親に仕える孝子という立場を棄てて、王さまに仕える忠臣という立場にならねばならないのでしょうか」
父曰く、
使汝有禄於国、有位於廷、汝楽而我不憂矣。我欲汝之仕也。
汝をして国に禄有らしめ、廷に位有らしむれば、汝楽しみて我は憂えざるなり。我、汝の仕うるを欲す。
「おまえが国から給与をもらい、宮廷に地位を得てくれれば、おまえもオモシロかろうし、わしも心配が無くなる。わしはおまえに仕官してもらいたいのじゃ」
これを聞いて申鳴、
諾。
諾せり。
「わかりました」
と答え、王の命令をお受けしたのであった。
王さまは彼を左司馬とし、軍事・公安のしごとを申し付けた。
しばらくすると、楚の国で乱が起こった。王族の白公が乱を起こし、令尹(総理大臣)の子西、司馬(警視総監)の子期を殺したのである。(いわゆる「白公の乱」である。)
申鳴は子期に代わって鎮圧部隊の長となり、軍を率いて一城に籠る白公を包囲した。
白公は腹心の石乞に相談した。
申鳴、天下之勇士也。今将兵、為之奈何。
申鳴は天下の勇士なり。今、兵を将(ひき)ゆ、これをいかんせんとす。
「申鳴は天下に聞えた勇士だぞ。それが今、軍を率いてわしを討伐しようとしている。どうしたらいいのじゃ?」
石乞曰く、
吾聞申鳴孝子也。劫其父以兵。
吾聞く、申鳴は孝子なり、と。その父を兵を以て劫(おびや)がさん。
「わたくし、申鳴は親孝行ものと聴いておりまする。やつの父を連行して、武器で脅迫いたせば如何かと・・・」
「なるほど・・・」
白公はただちに申鳴の父を連行して、これを一室に置き、人を遣わして申鳴に伝えた。
子与我、則与子分楚国。不与我、則殺乃父。
子の我に与(くみ)せば、すなわち子と楚国を分かたん。我に与(くみ)せずんば、すなわち乃(なんじ)の父を殺さん。
「あなたがわたしの側に付いてくださるならば、楚の国を得たあかつきには、あなたと国を半分づつ分け合って領有しようではありませんか。しかし、あなたがわたしの側に付いてくれないのであれば、わたしはあなたの父上を殺めなければなりますまい」
と。
申鳴、これを聞いて
流涕而応之。
流涕してこれに応ず。
涙と鼻水を流しながら、使いのひとに答えた。
始則父之子、今則君之臣。已不得為孝子矣、安得不為忠臣乎。
はじめすなわち父の子たるも、今はすなわち君の臣なり。すでに孝子たるを得ずして、いずくんぞ忠臣たらざるを得んや。
「以前は「父の子」という立場でござったが、今は「王の臣下」という立場でござる。親に対する孝行な子、という立場は全うできなかったのじゃ、今度は主君に対する忠義の臣という立場を棄ててしまうことができるとお思いか!」
ここにおいてイカダに載せて兵士らに川を渡らせ、ついに白公の籠る砦を攻め落として白公を殺したが、その父もまた死なせてしまった。
反乱が終息したので、王は申鳴に篤く褒賞を与えようとした。
しかるに申鳴曰く、
受君之禄、避君之難、非忠臣也。正君之法、以殺其父、又非孝子也。
君の録を受け、君の難を避くるは、忠臣にあらざるなり。君の法を正して、以てその父を殺すは、また孝子にあらざるなり。
「主君の給料をもらいながら主君の困っているときにお助けしないのは、忠義の臣と申せませぬ。一方、主君の御命令を遂行して、ために自分のおやじを殺してしまった、というのでは、孝行ものとはいえませぬ。
行不両全、名不両立。悲夫、若此而生、亦何以示天下之士哉。
行は両全ならず、名は両立せず。悲しいかな、かくのごとくして生きなば、また何を以て天下の士に示さんや。
わたしの行動は忠と孝の両方の行動指針を満たすことはできなかった。臣と子の両方のあるべき名分を立てることができなかった。このまま生き延びたのでは、天下の士たちにどう行動していいかを示すことができますまい」
そして、
遂自刎而死。
遂に自ら刎(は)ねて死せり。
ついに自ら首を斬り落とし、死んだ。
こういう状況を「詩経」では、
進退惟谷。
進退これ谷(きわ)まれり。
進んでも退いても出口がない。
と言うのである。
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と、「韓詩外伝」巻十・第二十五に書いてあった。
ということで、進退窮まると、「うひゃひゃ」と自分で自分の首を刎ねるしかなくなってしまうのです。やはり「王に仕える」などということをすると、ムリが起こってしまう確率が高くなるのだと思います。気をつけましょう。
それでは進退窮まってきた肝冷斎は自分で自分の首を刎ねるしかありません。どうせ明日の朝出勤したら上役に刎ねられてしまうでしょうから、その前に、
「よっしゃー、刎ねまーちゅ。ぎとぎとの包丁がいいな、あまり痛くないようにちたいから」
と覚悟を決めた・・・のですが、ちょっと待った!
実は「進退が谷まっ」ても首を刎ねなくてもいい可能性があります。「詩経」のこの「進退維谷」には、ほかにも有力な解釈があるのです。
まずこのコトバを含む連(スタンザ)はどうなっているのか。
瞻彼中林、甡甡其鹿。 かの中林を瞻(み)るに、甡甡(しんしん)たるかな、その鹿。
朋友已譛、不胥以穀。 朋友すでに譛(そし)り、胥(しょ)するに穀(よ)きを以てせず。
人亦有言、進退維谷。 人また言う有り、「進退これ谷せり」と。
「甡」(しん)は、「兓」(しん。かんざしを二本並べた姿)と同じで、「(たくさんのものが)並立する」の意。「胥」(しょ)は「相」と同じで、「お互いに」。「穀」(こく)は「善」の意。
そして、@「谷」は伝統的には「鞠」(キク)の仮借で、「身を縮こまらせる」「困窮する」の意味で、「進退これ谷せり」は「進退これ窮まれり」と読む。
あそこの林の中を見てごらんなさい、たくさんの鹿が並んで仲良くしているではないか。
(それなのに今の世の中は)、ともだち同士が謗り、騙しあっているのだ、お互いに善くやっていこうという気持ちはないのだ。
(この状況について)ある人が言った、「進むも退くも出口が無い」と。
これが一般的な解釈であり、上記の「韓詩外伝」の解釈でもあり、ゲンダイの日本でみなさんが使っている「進退窮まったでちゅう」という成語のもとでもある。
ところが清の阮元はA「谷」(コク)は「穀」(コク)の仮借ではないか、と言い出した。
直前に「不胥以穀」とある、その「穀」を別の字で言い換えたのではないか。韻を踏む字は同じ字にしないのが「詩経」のルールなので、同じことを表わすのに文字を変えざるを得なかったのだ。
というのである。
そうすると、「進退これ谷せり」は「進退これ穀(よ)からん」と読み、
ある人が言った、(こんな状況から逃れるためには)「進んでも退いてもいい」と。
という意味になります。
また、近代の于省吾はB「谷」(コク)は「欲」(ヨク)の仮借、または誤字ではないか、と言いだした。
そうすると、「進退これ谷せり」は「進退これ欲するのみ」と読み、
(この状況について)ある人が言った、(人間関係が壊れているのだから)「進むのも退くのも、自分自身のやりたい放題だ」と。
・・・ということですから、「進退は窮まっていない」という解釈もあるので、AやBだったら首は刎ねなくていいかも、ということでございました。肝冷斎はどうせ明日出勤後に刎ねられるけどね。みなさん、ちゃようなら!