わずか二日前の金曜日に
「二度と来るものか」
と足蹴にして会社を出てきたのに、もう明日の朝には肩すくめ背中を丸めてまた会社に行かないとならぬ・・・。どうしようかなあ。
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明日出勤だと思うとイヤになって来ますので、今日は和文を読む。
中比(なかごろ)、此国(の)王・大世(うふよ)の主と申し上げる。此、毒蛇を恐れて、高楼を起(た)て厚板にして能(よく)囲む。
少し昔のこと(16世紀前半のことだと思われます)だが、この国の王、「大いなる世の主さま」とおっしゃる方がおられたのだが、このお方、毒蛇(ハブ)をたいへん恐れ、高い建物を建て、その床や壁はすべて厚い板を使って、どこにも破れ目が無いようにした。
この国というのは琉球国です。沖縄の君主は「よのぬし」と自称しますが、三山統一後の首里の琉球王は室町将軍に対しては「りうきうよのぬし」と名乗り、「琉球国総地頭」に任命されておりましたので、「大世の主」というのは、シナに向かって「中山王」とか「琉球王」と名乗って貿易していた首里の殿さまの和語での呼称であります。
さて、高楼を建てて、
王誇りて云う、毒蛇も此には来べからず、と。
王さまは「ふふん」と威張っておっしゃった、「ハブもここまでは来れまいぞ」と。
「わははは」
「いや、まったくにて」
「これはこれは、のう」
「すばらしいことよのう」
などと近臣どもは追従したことでございましょう。
ところが、
時、幾(いくばく)ならざるに左手を螫(さ)さる。
そう時日も経たないうちに、ハブは高楼にも昇ってきて、王さまはその左手を咬まれたのであった。
「うひゃあ、咬まれたよう」
このとき、高楼に三司官(さんすかん。王を補佐する三人の大臣)のうちの一人がお側に侍っておられた。その大臣が、
即ち王肱を切去りて、我肱を切り継ぎ上ぐる也。
即座に王さまの左の腕を切り落とし、また自分の腕も切り落として、王さまの腕の切れたところに自分の腕をくっつけた。
おかげで、王さまは片腕にならずに済んだ。
其御影、今に住好(すみよし)の寺に顕(あら)はれたり。
その王さまの肖像画は、今も住吉宮のお寺(住吉宮をはじめ沖縄の八社に祀られているのは熊野権現か八幡大菩薩であり、神仏習合なのである)に掲げられておる。
ハブには蚊帳の中で咬まれるひともいるし、野原でやられるひともいる。ハブの毒はすさまじいのである。たまに死なずに済むひともいる程度である。
此国恐しきこと此一段なり。
この国において怖ろしいことはいくつかあるが、ハブの恐怖は最大級の怖ろしいことである。
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袋中上人「琉球神道記」巻五より。毎日が土曜日なら毎日毎日こんな話ばかり読んで生きていけるのになあ・・・。ちなみに歴代国王の肖像画は沖縄戦で焼けた。