つらいしごとに追い詰められていた慣例斎。「つらい・・・」「もうだめだ・・・」と呟きながら何度もためいきをついていましたが、あたたかくなってきたのもあるのでしょう、ついに本日の昼間、
「やってられないのじゃ!」
と言い残して、行方不明に。しかたないので今日はおいら肝冷童子が更新やりまっちゅ。
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周の文王(推定紀元前12世紀)は、人民とともに楽しむため、自然公園である「霊囿」、水城公園である「霊沼」、展望公園である「霊台」を作った。
これらは、人民どもに労働を強制したのではなく、人民どもの自発的労働で作られたのだそうである。
文王志之所在、意之所欲、百姓不愛其死、不憚其労、従之如集。
文王の志の在るところ、意の欲するところ、百姓その死を愛(お)しまず、その労を憚らず、これに従うこと集の如し。
文王さまのこうしたいと思ったこと、こうしてほしいと願ったところ、それらを実現するためには、人民どもは自分の命も惜しまず、自分が疲労するのもいやがらずに、そのしごとに従事しに来るのは、まるで鳥が木に集まるような(自然な)ものであった。
このこと、「詩経」にも
経始霊台、経之営之。庶民攻之、不日成之。経始勿亟、庶民子来。
霊台を経始し、これを経しこれを営む。庶民をこれを攻(おさ)めて日ならずしてこれを成す。経始亟(し)うる勿(な)く、庶民子来たれり。
霊台を作りはじめ、これを運営することとした。
すると人民どもは建築に従事して、あっという間にお造り申し上げた。
造りはじめるからといって強制もしていないのに、人民どもは働きにやってきたのだ。
と謳われている(「大雅・霊台」)とおりである。(ちなみに「経営」という熟語はこの詩の「これを経しこれを営む」の句に基づく。期末試験に出るカモ)
文王が展望公園(「台」)を作ろうと志したならば、
今近境之民聞之者、裹糧而至、問業而作之、日日以衆。故弗趨而疾、弗期而成。
今、近境の民これを聞く者、糧を裹(つつ)みて至り、業を問いてこれを作り、日日に以て衆(おお)し。故に趨らずして疾やかに、期せずして成る。
そのことを知った近くの人民から、すぐに自分の食糧を包んでやってきて、自分のやるべきことを問うてそのとおりに働くのである。毎日毎日、より遠くから人民どもがやってきて、労働者の数は増えていくのだ。こんなだから、急がせなくても速やかに進み、いつまでと決めなくてもあっという間にできあがってしまったのだ。
というのであります。
人民はすぐれた指導者のために働きたがっているものなのだなあ。
以上、漢・賈誼「新書」君道篇より。
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ところで、この霊台と霊沼の建築工事に最中に一騒動あったのである。
掘得死人之骨。
掘りて死人の骨を得たり。
地中から死んだひとの骨が出てきたのである。
超古代の古墳だったのかも知れませんが、文化財調査などのすぐれた制度の無い時代でありますから、工事していた人民ども
「うひゃあ、どうしたらいいのだ」
と驚きまして、すぐに現場監督をしていた周の家臣に届け出た。
「えー、骨が出た? どうすればいいか、と言われても・・・。そうだ、王さまに訊こう」
吏以問于文王。
吏、以て文王に問う。
家臣の者は、文王さまにどう処置したらいいか問うた。
文王さまはおっしゃった。
更葬之。
これを更葬せよ。
「その骨はあらためて埋葬しなさい」
家臣は言った、
此無主矣。
これ主無きなり。
「どなたの祖先の骨かわからないのに、誰が葬儀の責任者になるんですか?」
文王曰く、
有天下者、天下之主。有一国者、一国之主也。寡人固其主、又安求主。
天下を有(たも)つ者は天下の主なり。一国を有つ者は一国の主なり。寡人もとより其の主、またいずくにか主を求めん。
「天下を保有する者が天下の責任者、一国を保有する者が一国の責任者だ、という。ということは(周の侯(きみ)である)わしはこの土地を保有している責任者なのだから、そこから出てきた人骨を葬る責任があるのじゃ。わしのほかに葬儀の責任者を、どこに探し求められようか。」
そうして、
遂令吏以衣棺更葬之。
遂に吏をして、棺に衣してこれを更葬せしむ。
家臣に、人骨を棺に納めさせ、その上から丁寧に布で包んで、葬りなおさせたのであった。
天下聞之、皆曰、文王賢矣。沢及枯骨。而況于人乎。
天下これを聞き、みな曰く、「文王賢なり。沢は枯骨に及ぶ。しかして況や人においてをや」と。
天下のひとびとはこのことを伝え聞いて、みな言い合った。
「周の侯・文王さまは賢者さまじゃらしいぞ。その恵みはぼろぼろの骨にまで及んだのだ、わしら生きている人民に及ばないことがあろうか」
文王はこのとき、まだ天下の西方を支配する「覇(伯)者」でしかなかったが、このことを機会に世界中のひとびとから慕われるようになったのである。
或得宝以危国、文王得朽骨以喩其意、而天下帰心焉。
或は宝を得て以て国を危うくするに、文王は朽骨を得て以てその意を喩(さと)し、而して天下帰心せり。
世の中には財宝を得たために、それを守ろうとして国の方を亡ぼしてしまう為政者もいるのだが、文王さまは腐った骨を得て、それによって自分の思想を明らかにし、そうして世界のひとびとを心服せしめるに至ったのである。
為政者の心すべきことであるのじゃ。
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と、漢・劉向の「新序」雑事第五に書いてありまちゅよ。為政者はたいへんでちゅ。大○民国の大統領、体調悪いのにたいへんでちたねー。
なお、「新書」は賈誼、「新序」は劉向のそれぞれ著書なので間違えないでくだちゃいね。もしかしたら期末試験に出るかも。
(さらになお、三国の諸葛亮の著と伝わる「新書」という書物もあります(いまも残っているらしいのですが、わたしは入手しておりません)。賈誼の「新書」の方が先に出来ているのですが、そちらは六朝ごろまで「賈子」と呼ばれていたので、諸葛亮の「新書」と区別するために「賈誼新書」と称ぶことがあります。これももしかしてもしかしたら期末試験に出るかも)