火曜日もあきまへん。賢者であるわたくしですが、社会人としては動きが悪いのでイヤになりますね。
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明のころのことだそうですが、広陵の町の郊外の河川敷で、
沙岸上有水牛偃曝。
沙岸上に水牛の偃曝する有り。
岸辺の細かい砂の上に、水牛が一頭、ねそべって日に当たっていた。
このとき、なんかでかいものが川上から流れてきました。
「なんだ、あれはモウ」
と牛は頭をもたげて覘き見た。それは、
一黿大如席闖出水際潜往牛所。
一黿の大いさ席の如き、水際に闖出して牛の所を潜往す。
ムシロのようにでかい巨大ウミガメが、岸からすぐのところを甲羅だけ出して、牛の目の前まで潜行してきたのであった。
「でかいカメだモウ」
牛は、
起環行出其後、奮角觝之。
起ちて環行してその後に出で、角を奮いてこれに觝(ふ)る。
ゆっくり起き上がると、ぐるりと回ってウミガメの後ろ側に回り込み、角をその巨体の下に突っ込んで、持ち上げた。
「うひゃあ、何をするのじゃカメ」
黿即翻身仰臥、不能復起。
黿、すなわち身を翻して仰臥し、また起つあたわず。
ウミガメはごろりと回転して岸辺にあおむけに転がり、立ち上がることができなくなった。
「た、たすけてカメい」
ウミガメはじたばたしたが、そのうちに
「なんだなんだ」
「カメだ」
「でかいな」
「うわあ、やめてくだカメ」
浜江人撃殺之。
浜江の人、これを撃殺す。
川べりから集まってきた人間どもに棒などでぼこぼこに殴られ、殺された。
そしてウミガメのスープとなったのである。
浙江では、
古有相伝水牛殺蛟、当不虚也。
古えより、「水牛、蛟を殺す」と相伝うる有るは、まさに虚ならざるなり。
むかしから、「水牛が水龍を殺す」という言い伝えがあった。そのことは虚偽ではなかった、ということだ。
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明・謝肇淛「五雑組」より。著者はむかしからの言い伝えがあったから撃殺されてもしかたない、という考え方のようですが、ひどいことです。動きの悪いものはこうやって社会人のエジキになっていけばいい、ということなのか。
なお、ウミガメが口を利くはずがないではないか、と思うひとがいるかも知れませんが、すでに三世紀の晋・干宝「捜神記」に
千歳黿能与人語。
千歳の黿はよく人と語る。
千年生きたウミガメは人間と話をすることができるようになる。
と書いてありますので、明代は「捜神記」の時代からさらに千数百年経っていますから、かなりの数のウミガメが人間の言葉で口を利いたとしても、取り立てて不思議ではありません。