やっぱり月曜日はあきまへん。
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どれぐらいあきまへんかと言いますと、
熊羆咆我東、 熊・羆(ゆう・ひ)、我が東に咆え、
虎豹号我西。 虎・豹、我が西に号(さけ)ぶ。
我後鬼長嘯、 我が後ろに鬼は長嘯し、
我前猱又啼。 我が前に猱もまた啼けり。
天寒昏無日、 天寒く昏くして日無く、
山遠道路迷。 山遠く道路に迷えり。
クマとヒグマがおいらの東の方で咆えている。
トラとヒョウはおいらの西で叫んでいる。
おいらの背後では山の精霊がひゅううと長く口笛を吹き、
おいらの前方ではおサルもきいきい啼いている。
空は寒く、暗く、太陽は見えない。
山中に遠く入り込んで、おいらは道に迷ってしまったのだ・・・。
これは困りましたよ。この閉塞感は、まるでロシア、チャイナ、北・南、そしてアメリカに取り囲まれたどこぞの国の状況みたいだ。杜甫・古詩「石龕」より。
杜甫一家は乾元二年(759)秋、食べ物を求めて甘粛の秦州から同谷へ移動しますが、その途中に作ったらしい。杜甫四十八歳(数え)で、実に多くの佳作を遺した時期である。
ちなみに「石龕」詩は、この後、
わたしは車に乗ってこの石室(「石龕」)の下まで来たが、
その途中、十一月の虹(←冬の虹は不吉のしるしという)を見た。
山中の竹林では誰かが竹を伐採している。
悲しい歌をうたいながら、雲つくような高い梯子に昇っているのである。
お役人にいわれてすぐれた矢になるような竹枝を採って、
天宝十四年(755)以来の五年間、毎年山東・河南の軍隊に供出してきた。
そのひとはしかしうなだれて言うのだ、「まっすぐな幹の竹はもう採りつくしたので、
これ以上、軍士の手元の需要に応じることはできそうにない」と。
どういうことだ? 北京あたりの反乱異民族どもめが、
竹林を鳴らす風のように颯颯と人民どもを怖がらせているとは!
と続きます。宴席で歌ううたでも無いが、一人で無聊を慰めるためのうたでもない。おそらく、書写されてジャーナリスティックに流通することを想定したものではないか、と思われます。