平成26年3月23日(日)  目次へ  前回に戻る

 

友情は大切ですね。

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晋のころ、南康の町の廟に霊験あらたかな神が祀られていた。その神は他人を呪うことを願うと、百発百中で相手を不幸にすることができる、というので評判であった。

あるとき、一人の僧がその廟を訪れた。

そして、ひとびとが邪悪な念を以て祈りを捧げている神像の前まで行くと、

「やはりおまえだったか・・・」

と呟いた。

すると、

廟神像見之、涙出交流。

廟神の像、これを見て、涙出でて交流す。

廟内に祀られていた神の像が、僧を見て、涙を流しはじめたのであった。

まわりのひとびと大いに驚いたが、僧は深くうなずきながら、

昔友也。

昔の友なり。

「彼はさきの世ではわたしの友人であったのです」

と言った。

しばらくすると廟の外で騒ぎが起こった。

通行人に神が憑依して話し始めた、というのである。

早速、僧はその通行人を廟内に呼び入れ、憑依した神に訊ねた。

「おまえは何のためにその人に憑依したのか」

神(←実際は通行人)は答えた。

我罪深、能見済脱不。

我が罪深し、よく済脱せらるるやいなや。

「わしの罪はあまりに深いのじゃ。ほとけの救済を得て、この生を離れることができるであろうか」

僧は神(の憑依した人)を座らせると、その前で一度お経を唱えて、それから言った。

「おまえがこの生から離れるためには、

見卿真形。

卿の真形を見(あら)わせ。

おまえの現在のほんとうの姿をあらわにせねばならん」

神曰く、

稟形甚醜、不可出也。

形を稟(う)くること甚だ醜し、出づるべからず。

「現在の生では、たいへん見苦しい姿になっておるので、姿をあらわすわけにはいかんのじゃ」

僧、印を結び、はっ!と気を吐いて、

「ならぬ! 出でよ!」

としかりつけると、

ぼよよよーーーーん

煙とともに

蛇身長数丈垂頭梁上。

蛇の身長数丈なるが、頭を梁上より垂る。

長さ10メートルもあろうかという巨大なヘビが頭上の梁の上にあらわれ、そこから頭をだらん、と垂れ下げたのであった。

と、同時に、神の憑依していた人は気を失って倒れた。

僧、ヘビに向かってお経を唱えると、ヘビは

一心聴経。

一心に経を聴く。

一心に経を聴いているようであった。

しばらくすると、

目中血出。

目中に血出づ。

ヘビの目から血が、にじみ出てきた。

やがて、血はぽたぽたとしたたり落ち始めた。夜になり、朝になったが、まだ血はしたたり落ち、廟内は血の海のようになったが、しかしそれでもヘビは死ななかった。

そのまま

七日七夜、蛇死。

七日七夜にして蛇死す。

七昼夜、経を聴き続け、ヘビはついに死んだのであった。

この生から解放されたのである。

「ようガマンしたのう・・・」

僧はヘビの亡骸を抱きかかえて、その頭を撫でさすってやったという。

なお、神がいなくなったので、その廟は荒れ果ててしまい、今は無い。

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南朝宋・劉義慶「幽明録」より。

わしもいろいろ導いているのですが、自覚が無いひとが多いので困っております。自分は実は「見苦しい姿」になっている・・・かも知れないカモ、と思うことありませんか。

 

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