友情は大切ですね。
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晋のころ、南康の町の廟に霊験あらたかな神が祀られていた。その神は他人を呪うことを願うと、百発百中で相手を不幸にすることができる、というので評判であった。
あるとき、一人の僧がその廟を訪れた。
そして、ひとびとが邪悪な念を以て祈りを捧げている神像の前まで行くと、
「やはりおまえだったか・・・」
と呟いた。
すると、
廟神像見之、涙出交流。
廟神の像、これを見て、涙出でて交流す。
廟内に祀られていた神の像が、僧を見て、涙を流しはじめたのであった。
まわりのひとびと大いに驚いたが、僧は深くうなずきながら、
昔友也。
昔の友なり。
「彼はさきの世ではわたしの友人であったのです」
と言った。
しばらくすると廟の外で騒ぎが起こった。
通行人に神が憑依して話し始めた、というのである。
早速、僧はその通行人を廟内に呼び入れ、憑依した神に訊ねた。
「おまえは何のためにその人に憑依したのか」
神(←実際は通行人)は答えた。
我罪深、能見済脱不。
我が罪深し、よく済脱せらるるやいなや。
「わしの罪はあまりに深いのじゃ。ほとけの救済を得て、この生を離れることができるであろうか」
僧は神(の憑依した人)を座らせると、その前で一度お経を唱えて、それから言った。
「おまえがこの生から離れるためには、
見卿真形。
卿の真形を見(あら)わせ。
おまえの現在のほんとうの姿をあらわにせねばならん」
神曰く、
稟形甚醜、不可出也。
形を稟(う)くること甚だ醜し、出づるべからず。
「現在の生では、たいへん見苦しい姿になっておるので、姿をあらわすわけにはいかんのじゃ」
僧、印を結び、はっ!と気を吐いて、
「ならぬ! 出でよ!」
としかりつけると、
ぼよよよーーーーん
煙とともに
蛇身長数丈垂頭梁上。
蛇の身長数丈なるが、頭を梁上より垂る。
長さ10メートルもあろうかという巨大なヘビが頭上の梁の上にあらわれ、そこから頭をだらん、と垂れ下げたのであった。
と、同時に、神の憑依していた人は気を失って倒れた。
僧、ヘビに向かってお経を唱えると、ヘビは
一心聴経。
一心に経を聴く。
一心に経を聴いているようであった。
しばらくすると、
目中血出。
目中に血出づ。
ヘビの目から血が、にじみ出てきた。
やがて、血はぽたぽたとしたたり落ち始めた。夜になり、朝になったが、まだ血はしたたり落ち、廟内は血の海のようになったが、しかしそれでもヘビは死ななかった。
そのまま
七日七夜、蛇死。
七日七夜にして蛇死す。
七昼夜、経を聴き続け、ヘビはついに死んだのであった。
この生から解放されたのである。
「ようガマンしたのう・・・」
僧はヘビの亡骸を抱きかかえて、その頭を撫でさすってやったという。
なお、神がいなくなったので、その廟は荒れ果ててしまい、今は無い。
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南朝宋・劉義慶「幽明録」より。
わしもいろいろ導いているのですが、自覚が無いひとが多いので困っております。自分は実は「見苦しい姿」になっている・・・かも知れないカモ、と思うことありませんか。