ちょっと風邪ひいたかも。寒さに弱い老人ですじゃでのう。寒いのでみかん食いながら本でも読んで寝ます。今日は国際紛争について勉強しますかな。
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チュウゴク古代の伝説のひと、魯般は神のように高い技術を持った工匠であったが、一説によれば敦煌のひとであったという。
経緯まではわかりませんが、
呉人殺其父。
呉人その父を殺す。
長江下流域の呉の民におやじを殺された。
ので、呉の民を大いに憎み、はるか西北、チュウゴクと西域の境にある粛州の町で、
城南作一木仙人、手指呉地。
城南に一木仙人の手、呉地を指さすを作る。
町の南に、木製の仙人の像を建てた。その際、仙人の手が遠く呉の地をさすようにセットした。
すると、
呉地大旱三年。
呉地、大いに旱すること、三年。
呉の地では、たいへんな日照りになってしまい、それが三年も続いたのであった。
さて、呉の民たちは大いに困じ果て、占いを以て原因を探ることにした。
神のごとき明察を謳われた占者があって、
―――原因ははるか西北にあり。
般所為也。
般の為すところなり。
「般」のせいである。
と答えを出した。
そこで呉の民は使者を遣わすこととし、使者は磁針を頼りに遥かに西北の地を尋ね、ついに粛州に至って、住民に「般」というモノに心当たりはないか訊ね、魯般を探し当てたのである。
魯般、まさか呉人がその原因を探り当てるとは思いもしなかったが、占いに拠って探り当てたことを知って、
「呉にもたいへんな能力者がいるのであるから、侮ることはできない」
と思い知り、また呉人は
齎物謝之。
物を齎してこれに謝す。
魯般の父を殺したことについて、厚く物品を献上して詫びた。
そこで魯般は呉人と和解し、
為断其手。
ためにその手を断つ。
和解のため、仙人の木像の手を切り取った。
呉の使者は郷里に帰ってみて、まさに魯般が仙人の腕を折り取った
其月呉中地大雨。
その月、呉中の地、大いに雨ふれり。
その月に、呉の地では大いに雨が降り、日照りを脱したのである。
ということを知った。
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宋・趙道一編「歴世真仙体道通鑑」巻十より。
進行中の「臺灣の春」と、そのはるか西北・ウクライナの混乱、とは、どういう関係になっているのかな?どこかで何かがつながっているような気もしますが・・・。