STAP細胞、論文取り下げ。たくさん証拠写真とかあったんではなかったの? これもウソだった?(※今のところ、論文は取り下げらしいですが、STAP細胞自体が否定された、というわけではない、ということになっているらしいです。念のため)
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驚いてはいけません。
清の乾隆の終わりから嘉慶のはじめころ(嘉慶元年は1796)は、西洋との通商が広東一港に限られていたが、当時の西洋から輸入品の中で最も尊重されたのは、
鐘表
であった。
「鐘」は掛け時計、「表」は懐中時計で、当時は合せて時計一般を「鐘表」といったのである。
そして、当時の「鐘表」は、
其精緻工巧勝今日百倍、価亦極昂。
その精緻工巧、今日に勝ること百倍、価もまた極めて昂(たか)し。
現代(←19世紀末)に比べて、百倍も精緻で巧みに作られていたし、値段もたいへん高かった。
さて、当時は、上皇となっていた高宗・乾隆帝の八十歳の祝賀が広く行われ、各地の高官たちが上皇への心づくしに目の玉の飛び出るような高額の贈り物をするのがブームとなっていたので、両淮塩政(淮北・淮南の塩専売を統括する官。たいへん実入りのよい官職であった)は「時計」に目をつけ、広東(「粤」(えつ))のとある大貿易商に依頼して、しかるべき時計を輸入させたのであった。
それは精巧を極めたもので、一定の時間になると、時計の中に設けられた門が開き、
一洋人出、対客拱手、能自研墨、取紅箋、作万寿無疆四字、懸之壁後、拱手而退。
一洋人出で、客に対して手をこまねき、よく自ら墨を研ぎ紅箋を取りて、「万寿無疆」の四字を作して、これを壁後に懸け、手をこまねきて退く。
中から西洋人(の人形)が一体出てきて、見物人に向かって胸の前で手を組み合わせる挨拶をする。それから自分で墨を磨り、備え付けの紅い紙切れを手に取って、そこに
万寿無疆(万寿にして疆(境)無し)=ご長寿の途切れること無し
の四文字を書き、これを背後の壁に掛けて、また手を組み合わせる挨拶をして門の中に戻って行く―――という仕掛けになっていた。
まるで神の手になったかのような精巧さにひとびと大いに驚いたが、
定価五万両。
価を定むるに五万両なり。
お値段は五万両という途方も無い価がついていた。
清末には銀一両が一日本円ぐらいであったという考証もありますので、まあだいたいで一円=現在の1000円とみなしてみて、五万両は5000万円ぐらいであろうか。
それでも実物を見た塩政は大いにこれを気に入り、五万両で買い取ることにしたのである。
引き渡し、というときになって、窓口になっていた塩政の門丁(使用人)が、突然
索費五千。
費五千を索(もと)む。
手数料として自分に五千両(500万円)、キックバックするように求めてきた。
粤人愕不与。
粤人、愕(おどろ)きて与えず。
広東商人はびっくりし、そんなものは払わない、と答えた。
すると、門丁は
「ほんとうによろしいのかな? 今日(わしに手数料を支払って)売買しないと、
過明日一銭不値矣。
明日を過ぐれば一銭にも値(あたい)せざらん。
明日以降になれば、一銭でも売れませんぞ。ひっひっひ・・・」
と意味ありげに笑うのである。
「なにを言っているのだ。これだけの物がまたとあるはずはない」
広東商人は取り合わなかった。
ところが、
次日、果退貨不復購。
次日、果たして貨を退けてまた購(か)わず。
次の日になったら、塩政は、本当に商品は要らない、と言い出し、売買は成り立たなくなってしまったのであった。
商人は大損害を出しそうになったが、幸いに別の高官から引き取りたいと申し出があったので、何とか破産の憂き目に遭わずに済んだ。
その後、ひとづてにわかったところでは、門丁は主人の両淮塩政に対して、このように説得したのだそうである。
「だんなさま、
物雖巧、全由関捩耳。設解京有損、進御時脱落末一字、則奇禍至矣。
物、巧みなりといえども、すべて関捩(かんれい)に由るのみ。京に設解するに損有りて、進御の時、末の一字を脱落せば、すなわち奇禍至らん。
あの時計は確かに精緻窮まりないものでございますが、結局はネジとバネの仕掛けでございます。分解してみやこに送り、あちらでまた組み立てる間にどれか一つ部品が欠けて、もしも、もしも、でございますが、上皇陛下にご覧いただくそのときに、あの人形が最後の一字を書き落とすなどということがあったら・・・。だんなさまにどんな禍いが降りかかるとお思いになりますか」
万寿無疆
から末の一字を書き落とすと、
万寿無 (ご長寿、無し)
になってしまう。
「わたしは、あの広東商人から、売買がうまく行ったら手数料を弾もうと持ちかけられておりますが、だんなさまのおんために、これだけは申し上げておかねばならぬと思って、申し上げるのでございます・・・」
「そういわれればそうかもしれぬ・・・」
塩政は深く納得し、ついに買わないことにしたのだ。
ああ。
小人讒搆之功、真可翻復黒白。其言誠有至理。
「小人の讒搆の功、真に黒白を翻復すべし」。その言、まことに至理有り。
古人の言に、「悪賢いやつらが言葉巧みに仕掛けてくると、ほんとうに黒と白もひっくりかせるものだ」というが、真理というべきであろう。
というように、いにしえより、黒を白、白を黒と言うやつらがいるのである。白が黒になっても黒が白になっても、驚くべきにあらず、驚くべきにあらず。
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清・欧陽兆熊・金安清「水窗春囈」巻下より。巻下なので金安清の方の著述になります。