今日も寒かった。しうまい弁当食った。
S村G内氏の会見の詳細の報道を見、いろいろ感心しております。マスコミさん、彼を(不当に)持ち上げていた人たちにもあのキツいインタビューをかましてやってくださいよ。
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今日も「聴く能力」につきまして。
むかしむかし、魯の国で、
孔子鼓瑟。
孔子、瑟を鼓せり。
孔子がおおごとを弾いていた。
弟子の子貢と曾参はちょうど孔子の館に入ろうとして、門のところでその音を聞いた。
曾参が眉を曇らせて言った。
嗟乎。夫子瑟声殆有貪狼之志、邪辟之行。何其不仁趨利之甚。
嗟乎(ああ)、夫子の瑟声はほとんど貪狼の志、邪辟の行い有るかな。何ぞその不仁にして趨利の甚しきや。
「どういうことでしょうか、子貢さん。今、先生のおおごとの演奏を聞くに、獲物を求めるオオカミのような気持ちと人目を避けてよこしまなことをしようという意志を感じました。どうしてこんなに人間らしさを忘れ、自分のためだけを考えるような音楽になってしまっておられるのか・・・」
「ふむ・・・」
子貢以為然、不対而入。
子貢以て然りと為し、対せずして入る。
子貢も同じように感じたので、曾参の問いかけにわざと答えず、孔子の居室に入って行った。
先生は子貢の姿を見、その表情に物言いたげな様子を感じ取られ、
釈瑟而待之。
瑟を釈きてこれを待つ。
おおごとを脇にやって、子貢の座するのを待った。
子貢は孔子の前に座ると、さきほどの曾参のことばを正直に述べた。
それを聞いて、孔子はおっしゃった。
嗟乎、夫参、天下賢人也、其習知音矣。
嗟乎(ああ)、それ参は天下の賢人なり、それ知音に習うものなり。
なんとのう・・・。やはり曾参は天下の賢者じゃのう。よくよく音楽というものを知っているようじゃ。
実は、
郷者、丘鼓瑟、有鼠出遊。
郷(さき)に、丘、瑟を鼓するに、鼠の出遊する有り。
最初、わし(「丘」は孔子の名前)がおおごとを弾きはじめたときに、天井からネズミがちょろちょろ出てきたのじゃ。
その後、
貍見於屋。
貍、屋に見(あら)わる。
「貍」は「タヌキ」ではなく「ネコ」。
ネコが屋根の上に現れたのじゃ。
ネコは、
循梁微行、造焉而避、厭目曲脊、求而不得。
梁に循(したが)いて微行し、造焉として避け、厭目して脊を曲げ、求むれども得ず。
天井に横にわたされた梁の上をそっと歩き、そろそろとネズミの視界を避けながら近づいて、目をぎらぎらさせ背中を曲げて、飛びかかった!―――が、ネズミは一瞬時に身を翻し、逃げ出してしまったのじゃった。
丘、以瑟淫其音。参以丘為貪狼邪辟、不亦宜乎。
丘、瑟を以てその音を淫(みだり)にす。参は丘を以て貪狼・邪辟と為すもまたむべならずや。
わしはおおごとを弾きながら、その音に(ネコの行動を見た)心の乱れを反映させてしまったのじゃ。曾参がわしの心の中に「獲物を求めるオオカミの気持ち」「人目を避けたよこしまな意志」を聴きとったのも、当然のことといえようか。
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「韓詩外伝」巻七・二十六章より。「孔叢子」にも伝えられているお話だそうです。
おいらたちコドモが大好きな「トムとジェリー」の一場面みたいでおもしろいでちゅね。ちゅうちゅうちゅう。そして事情がわかった後は、
「そういうことでしたか、わっはっは」
「そういうことなのだよ、わっはっは」
と打ち解けあった師弟の笑いさえ聞こえてきそうではございませんか、にゃーご。やっぱり音楽はいいなー。みなの心が通いあうのだなー。
なおこのエピソードは、おそらく不当に曾参を、孔子さま以上に持ち上げているような気がしますので、どうせ魯に伝えられた曾参の門人一派の伝承でありましょう。