平成26年3月5日(水)  目次へ  前回に戻る

 

今日は雨が寒かった。今週はずっと寒い。その間にウクライナなどでいろいろ進行中。

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はなしは紀元前三世紀のことになりますが、

嗚呼、滅六国者六国也、非秦也。族秦者秦也、非天下也。

嗚呼、六国を滅す者は六国なり、秦にあらざるなり。秦を族する者は秦なり、天下にあらざるなり。

ああ。戦国の七雄のうち、秦を除く韓・魏・趙・斉・燕・楚の六か国は滅ぼされたが、秦に滅ぼされたのではない。内部崩壊したのである。秦は統一後わずか十五年で滅び、その王族は一族皆殺しとされたが、楚の項羽が率いた天下の反乱によって皆殺しにされたのではない。内部崩壊したのである。

嗟夫、使六国各愛其人、則足以拒秦。使秦復愛六国人、則遞三世、可至万世而為君、誰得而族滅也。

嗟夫、六国をしておのおのその人を愛せしめば、すなわち以て秦を拒むに足れり。秦をしてまた六国人を愛せしめば、すなわち三世に遞(つた)えて、万世に至りて君たるべく、誰か得て族滅せん。

おお、上記の六か国が、それぞれ自国の国民を大切にしたならば、秦の侵略を拒絶することができたであろう。秦が統一後にかつての六か国の国民を大切にしたならば、三代十五年を越えて伝わり、一万代目までずっと君主でいられたであろう。そうであれば、いったい誰が一族皆殺しになどできようか。

しかし、滅んだのである。

秦人不暇自哀、而後人哀之。

秦ひと、自ら哀れむにいとまあらず、後人これを哀れむなり。

秦のひとたちは、あっという間に項羽の軍に咸陽を焼かれ皆殺しにされたのだから、自分たちのことを哀れと思う時間さえなかったのだ。そこで、後の世のひとが彼らに代わって、その歴史を哀れと思いやるのである。

だが、

後人哀之、而不鑑之、亦使後人而復哀後人也。

後人これを哀れむも、これを鑑みずんば、また後人をして復た後人を哀れましめん。

後の世のひとが秦を哀れと思いやるだけで、その滅んだゆえんを学ばないのであれば、(自分たちもすぐに滅んでしまって)結局さらに後の世のひとに、自分たちのことを哀れと思わせるだけになってしまうであろう。

世の中が乱れはじめております。われらが後人に哀れまれないように、為政者のみなさまによろしくお願いしたいところ。

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唐・杜牧「阿房宮賦」「樊川文集」所収)より。

杜牧(字・牧之、京兆のひと、803〜853)はいろいろ複雑なひとですが、これはまだ二十台の半ば、宰相・杜佑の孫として

其人、王佐才也。

そのひと、王佐の才なり。

彼は周の文王・武王のような王者を補佐する(太公望や周公旦のような)能力を持った男じゃ。

と言われていた(元・辛文房「唐才子伝」巻六による)ころの作品である。

 

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