景気のいい話するよー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明の時代。長江中流域の湖北あたりでのお話。
有人壮偉堅悍、白須髯甚盛、自称一百六十歳。
人あり、壮偉にして堅悍、白須髯はなはだ盛んにして、自ら一百六十歳と称す。
身は大柄でしっかりと引き締まり、行動はきびきびし、白いひげがたいへんふさふさとしている人がいた。自ら「わしは百六十歳じゃ」と言うのであった。
その弟子と称する人たちが言うには、
為前威寧伯学道不死、復出人間者。
前の威寧伯の道を学びて不死となり、また人間(じんかん)に出づる者なり、と。
「この方は、かつて内モンゴルの威寧を支配されていた方であるが、(死んだと見せかけて仙界で修行し)道教の秘術を学んでついに不死となられ、いま再び人間世界に戻って来られたおひとであられるぞ」
ということである。
湖北・湖南一帯では、この人が弟子たちとともにやってくると、
所至傾動。
至るところ傾動せり。
どこでも大騒ぎになり、多くのひとが彼に傾倒した。
湖州の茅鹿門先生などはまるで神仙に対するように仕えていたのである。
ひとびとはこの老人を「醒神」(覚醒された神仙さま)と呼び、
相伝能知休咎生死。
よく休・咎・生・死のことを知るとあい伝う。
みな、「醒神さまは、誰かがうまくいかないとか、罰せられるだろうとか、あるいは生き延びるだろうとか、いつ死ぬだろうとか、について、ほんとうによく予知することがおできになる」と語り合っていたものである。
しかし、
後其説無験、乃辞去。
後、その説に験無く、すなわち辞去せり。
しばらくすると、予告していたことが少しも実現せず、そのうち何処かに去って行った。
そうなってから、熱に浮かされたように「醒神さま」を尊崇していたひとびとも、ようやく落ち着いたのであった。
だいぶん後になってから聞いたところでは、
駐南京、夜行躓傷腰而殞。
南京に駐(とど)まるに、夜行して躓き、腰を傷めて殞(し)せり、と。
醒神さまは長江を南京までおくだりになって滞在しておられたが、ある晩、夜道を歩いておられて物につまづき倒れ、その際腰をいためて、それが原因となって亡くなった、というのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・朱国「涌幢小品」より。
「一百六十歳!」という長寿のひとです。わたくし的には精いっぱいの景気のいい話しだと思って紹介してみた・・・のですが、どんどん景気が悪くなって最後は力尽きた。