平成26年3月2日(日)  目次へ  前回に戻る

 

昨日今日はまた寒いですね。寒冷斎は昨日破裂してしまいました。今日は緊急のゴーストライター会議が開かれましたが、ウクライナや尖閣情勢に差し迫ったものがありますので更新を止めるわけにもいくまい、「慣例」どおり進めていくべき、という結論に達しましたので、今日からは「慣例斎」として更新を続行します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

むかしむかし、魯の国に足切りの刑を受けた「兀者」(ごつしゃ)の叔山無趾(しゅくざん・むし。「足無しの叔山」)という人がおりました。

彼は同じ魯の国の孔子にしばしば面会して教えを受けておりましたが、あるとき孔子が部屋の前で曰く、

子不謹、前既犯患若是矣。雖今来、何及矣。

子は謹まずして、前に既に犯患することかくのごときなり。今来たるといえども何ぞ及ばん。

「おまえさんは不謹慎だったので、すでに犯罪をおかして足切りの刑を受けてしまったのだ。今さら学問をしたとて何になろうか」

叔山無趾曰く、

「わたしは自分のすべきことをわきまえず、軽々しく行動してこのようなことになってしまったのでございます。

今吾来也、猶有尊足者存、吾是以務全之也。

今、吾が来たれるや、なお足の尊ぶもの存する有るがごとければ、吾はここを以てこれを全うせんと務むるなり。

今わたしが先生のところにしばしば訪れて学問しておりますのは、わたしには尊ぶべき足がもう一本あるがためです。わたしはこの残った足を守りたいので、学問をしているのでございます。

ところが先生の今のお言葉は如何なものでしょうか。

夫天無不覆、地無不載。吾以夫子為天地、安知夫子之猶若是也。

それ、天は覆わざる無く、地は載せざる無し。吾、夫子を以て天地と為すに、いずくんぞ知らん、夫子のなおかくの如きを。

「天空が覆わないものは無い。大地が載せないものも無い」と申します。わたしは先生を天空か大地のように思って学びにまいりましたのに、どういうことでしょうか、その先生でさえこんなことをおっしゃるとは」

孔子は答えて言うた、

丘則陋矣。夫子胡不入乎、請講以所聞。

丘(きゅう。孔子自身の名前)はすなわち陋なり。夫子なんぞ入らざるか、請う、聞くところを以て講ぜんことを。

「これはわしの間違いじゃった。ほんとにすみません。さあ、先生はどうしてこの部屋に入ってくださらないのですか。どうか先生のこれまで学ばれたことを、わたしどもにお教えくださりませ」

叔山無趾は請われるままに孔子に教え、教え終わると帰った。

孔子はその帰るのを見送ってから、弟子たちに言った、

弟子勉之。夫無趾、兀者也、猶務学以復補前行之悪。而況全徳之人乎。

弟子これを勉めよ。夫(か)の無趾は兀者なり、なお学に務め以て前行の悪をまた補せんとす。いわんや全徳の人をや。

「おまえたちも努力するがよい。あの足無しどのは足切りの刑を受けておる。しかし、それでも学問にいそしんで、これまでのよくない行いを償おうとしているのだ。おまえたちはまだ罰を受けていないのでるから、おまえたちの方こそ努力せねばならんのだ」

と。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、叔山無趾は老聃のところにやってまいりました。老聃は孔子の礼の先生であったといわれる人です。(→こちらなど参照「崔瞿問老

叔山無趾、老聃に向かって曰く、

孔丘之於至人、其未邪。彼何賓賓以学子為、彼且蔪以諔詭幻怪之名聞、不知至人之以是為己桎梏邪。

孔丘の至人におけるや、それいまだしか。彼、何ぞ賓々(ひんぴん)として以て子の為すを学ぶも、彼まさに蔪(もと)むるに諔詭幻怪(しゅくきげんかい)の名聞を以てし、至人のこれを以て己の桎梏と為すを知らざるや。

「賓賓」は@うやうやしく尊敬するさま、A「頻頻」(しきりに)の仮借、の二説あります。ここではAを採用。「蔪」(さん)は「求める」、「諔詭」は「奇異」「怪異」の意。「桎梏」(しっこく)の「桎」は手枷、「梏」は足枷。

「孔丘くんは「至人」(最高の人間)ということについては、まだまだですなあ。

彼はずいぶんしきりにあなたのことを学んでいるようだが、どうやら(最高の人間の方から見たら)奇怪で異常で空虚で夢幻のようなものでしかない「名声」を求めているようです。最高人間である「至人」からすれば、そのようなものは自分の手枷足枷にしかならない、ということがわからないようですな」

「ほうほう」

老聃、頷きながら言う、

胡不直使彼以死生為一條、以可不可為一貫者。解其桎梏、其可乎。

なんぞ直ちに、彼をして死生を以て一條と為し、可と不可を以て一貫と為す者たらしめざるや。て、その桎梏を解くは其れ可ならんか。

「それならどうして、あいつに「死」と「生」とは一本の枝であり、「すべき」と「すべきでない」は一つながりのものであることを直接わからせてやらんのですかな。あいつの手枷足枷を外してやればよろしかろうに」

無趾曰く、

天刑之。安可解。

天のこれを刑するなり。いずくんぞ解くべけんや。

「天があいつを罰しているのです。どうして外してやることができましょうか」

「ほうほう、なるほど、それはそうですのう」

そして二人して顔を見合わせ、

「ほうっほっほっほ」

「うっしっしっしっし」

と笑い合った――――ということである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「荘子」徳充符篇第五より。荘先生は相変わらず見てきたようにホラを吹いておりますね。

寒冷斎が破裂してしまったのを間近で見ていたので、土日は少し食うものを減らしてみました。しかし二日ぐらいで体重減るはずがない(増えるときは一日・二日で増えるのに・・・)。

孔子の

「おまえさんは・・・すでに足切りの刑罰を受けてしまったのだ」

という指摘を

「おまえさんは・・・すでに肥満してしまっているのだ」

と置き換えると、肥満している者はもう努力してもしようがない、ということになります。したがってもう努力などしてもしようがないのだ。天が罰しているのである、どうすることができようか、どうすることができようか。

 

表紙へ  次へ