うっしっし。おいらは南の島で暮らしている肝冷斎。
おいらは恐山の地中から出現した、という設定になっていますが、なかなか信用してくれないひとがいますので、人間が地中から出現した先例をご紹介します。
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明の正徳年間(1506〜1521)の末、浙江・嘉興府の崇徳県で、
民家掘地得活小児。
民家、地を掘りて活(い)ける小児を得たり。
ある人民の家で地面を掘っていたら、生きた赤ん坊が出てきた。
ひとびと、ずいぶん不思議がったが、
不知何異也。
何の異なるやを知らず。
どういう現象なのか、皆目わからなかった。
その家ではその子を引き取って育ていたが、特に目立ったことは無かったという。
残念なことにその子は、
郎時焼死。
郎時焼死せり。
立派な若者になったころ、焼死してしまった。
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明・郎瑛「七修類稿」より。子どもというのは稀に地面から生まれてくるものなのでございまちゅよ。
ところで東京で留守番している番令斎、明日は早朝出勤とのこと。寒いのにたいへんでちゅねー。いつまでも温帯にしがみついているからでちゅよ。はやく南海に来た方がいいでちゅよー。