ぶーーーーーん・・・・・・・・・・・・・・ぶーーん・・・・ぶぶぶ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶーーーーーーーんんん・・・・・ぶーーーーーん・・・・・・
と白色雑音(←何の規則性もない雑音)が聞こえる・・・・。
わしは、だんだんと、明るい方に引っ張られていくら・・・し・・・い・・・・
わ・・・し・・・は・・・目・・・を・・・覚・・・ま・・・す・・・・・こ・・・こ・・・で――――――
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ぼこ。ぼこ。ぼこぼこ。
と、おいら地中から出てまいりました。
こんにちはー。
おいらは後世(ごせ)・肝冷斎でっちゅ。肝冷斎が樹木の中で冷え切り、ほかの一族の者たちの気力も途絶えた後に、転生してこの世に帰ってきたのがおいらでちゅう。
とはいえ前世・肝冷斎たちの不純のアラヤ識を引き継いで転生しておりますから、おいらもあまり気力がありません。この数週間、前世・肝冷斎、拘泥斎、慣例斎、寒冷斎などが受けた仕打ちを受けると、また弱ってしまうでしょう。
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そういえば、寒冷斎の最後の更新に、説客が来て斉の靖郭君に「海大魚」の話をすることが記されておりました。
古代、このような「非飲食之客」(飲食にあらざる客、すなわち「講説の客」を迎えるときの礼が「礼記」(小戴礼記)の中にありますので、今日は新・肝冷斎雑志第一回の更新としてこれをご紹介しましょう。
まず、「非飲食の客」を出迎えるときには、席(座布団。ただし今の座布団より大きい)を相対して置きます(飲食の客は斜めに対することになっておりました)。
この席の大きさは三尺三分、席と席の間の空間も三尺三分で、この距離を「函丈」(合わせて一丈)といいます。なお当時の一丈は2メートル弱。
主人がまず席に「跪座」(われわれのいわゆる正座)し、客に席を勧めます。客は
跪撫席而辞。
跪きて席を撫して辞す。
(席の外に)正座し、席を手で撫でて、席につかないことを意思表示する。
客は二回これを行い、これに対して主人は固く勧め、客は立ち上がって席の上に立ち、それから座る。
座るときには裾を一尺持ち上げるとか足で蹴飛ばすなとか細かいことがありますがとりあえず省略。
主人不問、客不先挙。
主人問わざれば、客、先挙せず。
主人が何か質問しない限り、客の方からは発言しない。
このとき(以下は飲食の客と共通)、
先生書策琴瑟在前、坐而遷之、戒勿越。
先生の書・策、琴・瑟の前に在れば、坐してこれを遷し、戒めて越ゆることなからしむ。
むかしの人の書いた書や木簡、あるいは琴やおおごとの楽器が主人の前にあれば、これを座ったまま(お付きの者に)移動させる。このとき、足でそれらを踏み越すことがないように注意する。
貴人は自分では「しごと」はしない、からだを使うことはお付きの者にやらせる、のが昔からのチュウゴクの定まりです。
また
虚座尽後、食座尽前。
虚座には後を尽くし、食座には前を尽くす。
何もない対座では「席」の一番後ろに座る。メシの出る座では「席」の前に座る。
これは、何もないときが通常で、できるだけ謙譲するために後ろに座るのだそうですが、メシの出るときはメシを「席」の上に置くとこぼしたりして汚してしまうので、一番前に出て、席の前に置いたメシを食う、ということなのだそうです。
座っているときは安らかにし、あちこちきょろきょろしない。また、目上の人の発言が終わらないうちに目下の者が発言してはならぬ。
正爾容、聴必恭。
爾(なんじ)の容を正しくし、聴くに必ず恭。
おまえのかおかたちをまっすぐ相手に向くようにし、話を聴くときは必ずうやうやしくせい。
毋剿説、毋雷同。
剿説(そうせつ)するなかれ、雷同するなかれ。
「剿説」とは、他人の説を取ってきて、自分の説のように説くこと。「雷同」とは雷が「ごろごろ」と音を出すとモノがみなそれに反応すること(←そんなことがあるのかどうか科学的には知りませんが)から、人の説に軽々しく同調することをいう。
他人の言ったことを自分の発見のように吹聴するな。他人の意見に軽々しく同調するな。
そして話すことは、
必則古昔、称先王。
必ずすなわち古昔、先王を称えよ。
必ずむかしのことを語り合い、いにしえの王者たちの制度を確認せよ。
なのだそうでっちゅ。
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「礼記」巻一「曲礼上」より。
「剿説」と「雷同」はダメだ、とダメ出しされてしまうとほんとに話すことが無いように思われますね。それなら「先王」(いにしえの王者たち)のことぐらいしか話せなくてもしようがないかも。
とりあえず復活して新・肝冷斎雑志となりましたが、心が弱いので攻撃はほんとに止めてくだされよ。