お酒ちょっと飲んだだけなのに、頭が痛いよ〜。
今日は昔のシゴト仲間と新年会。そのころからもう十五年経つ。ほんとに老い先短くなってまいりました。
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明の末、李自成の乱が猖獗を極めていたころ、科挙に合格して役人をしていた某公が扶乩(ふけい。フーチー。我が国の「こっくりさん」のような占い)によって自分の寿命を占ったことがあった。
「こっくりさん」では降りて来てお告げをする神霊を「こっくりさん」と呼びますが、扶乩ではこれを「仙」と言います。
寿命を問われた「仙」は、
某年某月某日当死。
某年某月某日、まさに死すべし。
「おまえは、なにがしの年のなにがしの月のなにがしの日に死なねばならない」
と告げた。
それはそんなに将来のことではなかったので、その人はたいへん悩んでいたということだが、
届期乃無恙。
期に届くもすなわち恙なし。
その日を過ぎても、特段に健康を害することもなかった。
そのころ明が亡び、やがて清の時代になり、そのひとは清に仕えて
至九列。
九列に至る。
長官クラスの高官になった。
清の時代には、宗人府、大理寺、太常寺、順天府、光禄寺、太僕寺、国子監、鴻臚寺、通政司の九つの役所の長を「九卿」と呼んだそうでして、この九卿のメンバー、あるいはその次官である侍郎になった人たちのことを「九列」という。
さて、某公がたまたま同僚の家に宴会に招かれた時、この家でも扶乩を行った。そこで彼は、
叩以所判無験。
判ずるところの験無きを以て叩く。
「前回の占いの結果は間違っておったぞ」と批判した。
すると、「仙」は答えて曰く、
君不死、我奈何。
君死せず、我いかんせん。
「おまえが死のうとしなかったのじゃ、わしにはどうしようも無かろう」
と。
そのひと、しばらく考え込んでいたが、やがて恥ずかしそうに帰宅していった。
けだし、もとの占いで示された「死なねばならない」日とは、
甲申三月十九日
だったのである。
甲申三月十九日、というのは、明の崇禎十七年(1644)三月十九日で、この日は李自成の率いた流賊がペキンを陥れ、混乱の中で崇禎帝が自殺し、明王朝が実質的に滅びた日である。「仙」は、明朝に仕えていた某公に、その日に国に殉じて「死なねばならない」立場になる、ということを告げていたのだが、某公は国に殉じることなく生き延びて、高官にまでなった、というわけである。
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と、清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻二に書いてあった。
わしももうそろそろ時期を間違えないようにしないといけないのかも知れません。二十年後に○○○勝さんを老人ホームに訪ねて昔話をする、という目標もあるのですが・・・。