平成26年1月6日(月)  目次へ  前回に戻る

 

本日はシゴトハジメ。シンケイが張りつめたせいか覿面に頭痛が出た。また、とにかく寒かった。

・・・という悪環境下ではありますが、「午年だから馬ネタで何か書けんのかね」という人も居ろうかと思いますので、馬ネタを引用してみます。

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唐の後半期に牛僧孺と「牛李の党争」を繰り広げた李徳裕のブレーンに劉三復というひとがいた。彼は徳裕が浙西に左遷されていたときにその知識の該博と文章の巧妙であるのを認められ、推薦を受けて都・長安で試験を受けて進士に及第し、閣僚クラスを歴任したのであったが、このひとはとにかく記憶力が素晴らしかった。

あんまり記憶力がよくて、

能記三生事。

よく三生の事を記す。

今の人生のほか、一つ前と二つ前の生のことまで、よく覚えていた。

三回の生を繰り返しているというので、「三復」という名前になったのだそうである。

彼の言によると、

曾為馬。

かつて馬たり。

「わしは、前世では、馬だったのだ」

そうである。

馬常患渇、望駅而嘶。傷其蹄則連心痛。

馬は常に渇を患うれば、駅を望みて嘶くなり。その蹄を傷むれば心痛に連なるなり。

「馬は、いつも飲み水のことを心配して行動している。だから、街道を行くときに宿舎が見えてくると、よろこんでいななくのだ。また、ひづめを傷つけると、ひづめが心臓にもつながっているので、心臓も痛むのである」

とのこと。

三復が馬に乗るときは、少しでも歩きにくいところに差し掛かると必ず轡を緩めて馬にゆっくり行かせたし、

有石必去之。

石有れば必ずこれを去る。

行く手に躓きそうな石があると、必ず下人に「その石を退けよ」と命じて除かしめた。

また、

其家不施門限。

その家、門限を施さず。

その屋敷には、門のところに敷居を設けなかった。

いずれも、蹄を傷めることを避けさせたのである。

ただ、馬であった前世のときのことについてはこのようであったが、もう一つの前世のことについては、とうとう何も述べることが無かったのは不思議であった。

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宋・孫光憲「北夢瑣言」より(「太平廣記」巻387所収)。

記憶力がいいと大変ですね。この現在の生においてさえ、若いころに随分恥かしいことをたくさん言い、たくさん行った。普段は何となく忘れているのですが、思い出すと涙が出るぐらいオロカしい。そういうのを三回分も覚えているのはなかなかにツラいことである。

 

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