平成25年12月9日(月)  目次へ  前回に戻る

 

昨日は肝冷斎めが不調法にも「きんたま」を話題にいたしまして申し訳ござりませなんだ。妙齢の女性などはたいへん不愉快な思いをなさりましたことにございましょう。今日は替わりましてこの煩礼斎めが、かわいいカメのお話をいたしますのでお赦しあられたい。

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これは沖縄県南風原町、いにしえの南風原間切宮平村でのことでございます。

有善縄大屋子者、卜地于邑外、大闢家宅。

善縄大屋子なる者あり、地を邑外に卜し、大いに家宅を闢く。

「善縄大屋子」さんは「よくつな・うふやこ」と読みます。「大屋子」は「かしら」「親方」の意。

よくつなの大屋子といわれる者があって、村の外に住むところを探し、大きな家を作って暮らしていた。

この大屋子は、

常以漁為業。

常に漁を以て業と為す。

職業的に漁業を行っていた。

のだそうでございます。

さて、ある日のこと。

善縄大屋子が西原(首里の東側)の我謝の浜で竹を以て柵を編み、ここに魚を招きよせて捕らえる、という漁法で漁を行っていたところ、

忽見一大亀従海中躍出。頃間有一女亦出来。

忽ち一大亀の海中より躍出す。頃間に一女のまた出来する有り。

突然、大きなカメが海中から浜に飛び出してきた。その後すぐに、今度は一人の女性が同じように出現したのであった。

この女、善縄に言いて曰く、

我賜汝此大亀也。早負而回家。

我、汝にこの大亀を賜わん。早く負いて家に回れ。

「わらわは、おまえにこの大きなカメをあげよう。早くこれを背負って家に持ち帰りなさい」

善縄、

「こんな大きなカメがいただけるんですか。ありがたし」

と大いに喜悦して、すぐにカメを背負うと、家に帰ろうと急いだ。

行至半途、大亀咬傷其首、遂為亀所害気絶而死。

行くこと半途に至り、大亀その首を咬み傷めて、ついに亀の害するところと為りて気絶して死す。

帰り道の半ばあたりまで来たところで、背負われていた大きなカメが大屋子のアタマにがぶりと齧りついた。このために大屋子は意識を失い、そのまま死んでしまったのであった。

「なんと哀しいことではないか」

村人ら哀れんでこれを埋葬し、沖縄地方の風俗に従って、三日後にその墓を開いて腐敗が進んでいるのを見ようとした。

すると、

無屍骸唯余空棺耳。

屍骸無く、ただ空棺を余すのみなり。

空っぽの棺があるだけで、死体はかげも形も無くなっていた。

関係者(「家人」)大いに驚いていると、突然、

聞空中有一声。曰、他大屋子非死而去遊儀来河内也。

空中に一声あるを聞く。曰く、「他(か)の大屋子、死にたるにあらずして去りて「儀来河内」に遊ぶなり」と。

空から声が聞こえてきたのだ。

その声は言うた、

「あの善縄大屋子は死んだのではない。(海の彼方の)ぎらいかない(ニライ・カナイ)に旅立っただけなのだ」と。

関係者はその声を聞いて、夢から覚めたか酔いから醒めたかのように感動し、

「そうか、善縄大屋子は神仙となったのだ」

と知って、彼の住家を

由是後人尊信為嶽。

これより後、人尊信して嶽と為す。

これ以降、尊び信仰して御嶽(うたき)にした。

これが南風原の「ヨクツナのウタキ」の由来である。このウタキに祀られる神の名は、嘉美司嘉美淵威部(カミツカサカミフチイベ)とおっしゃられる。

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今日も「遺老説伝」(巻一)より。

登場する人物たち―――大屋子も女も村人も空中の声もさらにはカメまでがみんな、ゲンダイからみると理解できない唐突な思考や行動に走っており、「何か変」な感じがしておもしろいですね。こんな神話・伝説も、「世界は人間が自分の意志で作り替えることができるものなのだ!」という近代的な発想の無い時代には、それなりの現実性(リアリティ)を持っていたのではないでしょうか。

なおこの物語は、かなり変形しているものの間違いなく、黒潮文化圏に共通する「ウラシマ物語」の一種である。

 

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