今日は寒かった、というか、帰ってきたけど部屋の中も寒い。ので、あたたかいお話をしましょー。
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「大神宮」のお話ですが、伊勢神宮とか熱田神宮などのお話ではありません。
現在の沖縄県南城市、むかしむかしの知念間切の安座真村に
有一人叫大神宮、身長一丈、力大無比、年一百二十而死。
一人、大神宮を叫(よ)ばる有り、身長一丈、力大にして比ぶる無く、年一百二十にして死す。
ちなみにこの「大神宮」さんは「ダイジングウ」ではなく、「うふじちゅう」と読みます。
うふじちゅうという呼ばれる男がいて、身長は1.8mあり、力強くかなう相手はおらず、しかも長生きで、百二十歳まで生きて死んだ。
昨日の趙州従諗も百二十歳でした。すごいですね。しかし、今日、広島東洋カープの新OB会長になった安仁屋宗八さん(69歳)が「カープが日本一になるまでは死なない」と挨拶したそうですから、もしかしたらこの記録も打ち破ることになるかも知れません。
さて、「うふじちゅう」が死んだ後、盛大な葬式が行われました。
葬後三日、随俗開視只有木葉満棺、其屍無跡。
葬後三日、俗に随いて開き視るに、ただ木葉の棺に満つるありて、その屍の跡無し。
墓に葬ってから三日後に、その地のふつうのやり方どおり、棺を開けて死体が安らかに腐敗しつつあることを確認しようとしたところ、なんと!棺の中には木の葉がいっぱい入っているだけで、うふじちゅうの死体はどこにも無かった。
タヌキもこんなふうになる?のかも知れませんが、それよりも、死んだと見せかけて死体を残さずに仙界に昇るチュウゴクの「尸解仙」とよばれる仙人のなりかたにそっくりである。
「では仙人になったのであろう」
と言って、一族の者たちは祠を作って毎年四月十八日にこれを祭ることにした。
今之大神宮祭云爾。
今の大神宮祭なりとしか云う。
これが、今も安座真に伝わる「うふじちゅう」の祭礼であるという。
ところでこの大神宮のムスコを親嶽(うふだけ)といい、こいつも
身長力大不異于父。
身長く、力大にして父に異ならず。
身長も力の強さもおやじ譲りであった。
武略もあるというので奄美大島が反乱を起こしたときに部隊を率いてその鎮圧に向かったが、このときは負けて帰ってきた。
時の王、神託により自ら兵を率いて奄美を攻めることになったが、この際、王の軍に従った「うふたけ」は大いに功を立てて南風原間切(はえばるまじり)の與那覇村に領地を賜った。
この「うふじちゅう」と「うふだけ」が、今の與那覇親雲上らの先祖である。
父大神宮卵包大、至今子孫皆然。
父大神宮の卵包大なれば、今に至るも子孫みな然り。
おやじの「うふじちゅう」はキンタマがでかかった。それで今でも子孫たちはみなキンタマがでかい。
そうである。
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「遺老説伝」巻三より。
南国沖縄のお話だし、最後のキンタマのこと、微笑ましくてあたたかい気持ちに包まれましたね。これで温かくして眠れる・・・かも。ちなみに沖縄のキンタマといえばこんなお話も→「をうできう」
日曜日なので、明日は会社がコワい。こんなコワい現世にはおいらのような繊細なタイプのは居られないので、お名残惜しいのですが、おいらはまた彼岸に帰りまっちゅ。ばははーい。