昨日のは沖縄でしたので、今日は本場チュウゴクのリアリティを味わっていただきます。
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渉正、字・玄真なる者は巴東の生まれといい、後漢の終わりごろに弟子数十人を連れて呉の地方に来たひとだが、400年以上前の秦の始皇帝の時代のことを明白に覚えているという評判であった。
彼は普段は
閉目雖行猶不開也。
閉目して行くといえどもなお開かず。
いつも目を閉じている。歩くときでも開こうとしないのであった。
彼に従ってもう数十年になるという弟子でもその目を開いたところを見たことが無かったので、その弟子、あるとき、ぜひ目を開いてみていただきたいと懇願した。
すると、渉正は
「よいのか?」
と問うた。
「は?」
弟子はその意図がわからず、答えを逡巡していると、
「よいのだな」
と
正乃為開目。
正、すなわち開目を為す。
渉正は目を開いた。
その瞬間―――!
目開時、有音如霹靂而光如電照於室宇。
目を開くの時、音の霹靂の如きありて、光の電の如き室宇に照らせり。
目を開くと同時に、落雷のような激しい音がし、部屋中が稲妻のような光で真っ白になったのであった。
「うひゃー」
弟子皆不覚頓伏。
弟子、みな覚えず頓伏す。
弟子らは、みな無意識にアタマを抱えてうずくまった。
落雷のような音の響きがおさまり、
良久乃能起、正已復還閉目。
やや久しくしてすなわちよく起こるに、正はすでにまた閉目に復せり。
しばらくしてようやく顏をあげられるようになったが、そのときにはもう渉正は、再び目を閉ざしたあとであった。
かように尊厳な師匠であった。
しかしながら、自ら八百歳と称していた李八百に会ったときには、
呼正為四百歳児。
正を呼びて「四百歳児」と為す。
渉正は「まだ四百歳の小僧っ子め」とからかわれた。
のであった。
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宋・張君房「雲笈七籤」巻一○九より。眼光が鋭い、というようなレベルではなかったのだ。