まだ火曜日。あと三日も・・・。
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さて、昨日に続けて「狐」精のお話。
これは清の時代、京師(ペキン市内)でのことでございます。
・・・なにがしという道観(道教のお寺)には「狐」が住んでいるというウワサであった。
その道観の道士某、祭礼を行うために多額の寄附を募った。
無事祭礼が終わった後、
与其徒在神座燈前、会計出入、尚闕数金。
その徒と神座燈の前にありて出入を会計するに、なお数金を闕く。
弟子と神を祀る祭壇の灯りの前で、お金の収支を計算していたが、どう計算しても帳簿上の残金に比して実際に残ったお金は、金貨数枚分足りないのであった。
師謂徒乾没、徒謂師誤算。
師は徒の乾没せるならんと謂い、徒は師の誤算せるならんと謂う。
道士は、弟子が着服したのだろう、と主張し、弟子の方は道士が収入の計算間違いをしているのではないか、と主張した。
「乾没」は「財物を不正に自分のものにしてしまうこと、ネコババ・着服すること」、古く「史記」にも出てくる由緒のある熟語である。
かく言い争いあって、そろばんの珠の音もぱちぱち(「格格」)と深夜まで決算が終わらないでいた。
師匠、だんだんいらいらして、
「寄附収入については覚え書きがある。もし収入の間違いがあるというなら、わしが着服したことになるではないか! 師匠を疑うのか!」
と怒鳴った―――
すると、突然、
梁上語。
梁上に語るあり。
梁の上、天井との間から、声が聞こえた。
其声伊伊幼幼如小児女云。
その声、伊伊幼幼として小児女の云うが如し。
その声は、「いーいーよーよー」と舌が回らず、小さな女の子がしゃべっているかのようであった。
曰く、
新秋凉爽、我倦欲眠、汝何必在此相聒。
新秋涼爽にして我倦みて眠らんとするに、汝らなんぞ必ずしもこの相聒(そうかつ)在らんや。
「夏の暑さも終わりまちて、涼しくさわやかになってまいりまちた。あたちは疲れて眠りたい、と思っていまちゅのに、おまえたち、なにをお互いにうるさく話しあっているのでちゅか」
天井を見上げるが、ニンゲンらしきものの姿は見えない。
ただ声だけが聞こえる。
此数金、非汝欲買媚薬、置懐中過後巷劉二姐家、二姐索金指環、汝乗酔探付彼耶。何竟忘也。
この数金、汝の媚薬を買わんとして、懐中に置きて後巷の劉二姐家を過ぎるに、二姐の金指環を索めたれば、汝酔いに乗じて探りて彼に付したるにあらずや。何ぞついに忘れたるか。
「おまえたちが争っている金貨数枚のことでちたら、おまえが、強精薬を買おうと思って懐の中に入れたのではなかったかちら? そして裏通りの劉二ねえさんの家の前を通り過ぎたとき、かねてなじみの二ねえさんから「金の指輪が欲しいんだけど・・・」とおねだりされて、酔っぱらって気の大きくなってたおまえは、彼女に「これを取っておけ」と渡しちゃったんじゃなかったかちら? もう忘れてちまっているの?」
その言葉を聞くや、
徒転面掩口。
徒は面を転じて口を掩う。
弟子は、顏をそむけて口を覆い、笑いをかみ殺した。
道士乃黙然斂簿出。
道士はすなわち黙然として簿を斂(おさ)めて出づ。
道士は、黙ったまま会計の帳面を手にして出て行ってしまった。
「おまえ」と言われたのがどちらであったか、一目瞭然であった。
このとき、剃工(理容師)の魏福という男がこの道観に間借りしていて、実際にその目で見、その耳で聞いたことである。
・・・なので真実のことである。(魏福がウソを言ってなければ・・・)
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清・紀暁嵐「閲微草堂筆記」巻七「如是我聞一」より。
「狐」が「キツネというドウブツ」である必要はまったくなさそうな気がしますよね。