明日になってもまだ木曜日。寒いし。あと二日も会社行くのムリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、今日は一昨日に続きまして安政大地震のときのお話です。
金竜山浅草寺といえば今も参拝客多く、外国人のお客からも人気の観光地でございますが、安政のころも
為都下香火之霊場、金碧熒煌、荘厳無比。
都下香火の霊場たりて、金碧熒煌、荘厳比するもの無し。
江戸府内のお香の火の絶えせぬ霊場であり、金色の飾りと碧色の屋根瓦がきらきらと輝き、荘厳なこと他に比べるものも無い。
とされておりました。
この浅草寺の
第一門為雷神門。
第一門は雷神門たり。
一番最初の門は「雷神の門」と呼ばれておった。
「かみなりもん」です。
門左右安雷公風伯二鑿像。
門の左右に雷公・風伯の二鑿像を安んじたり。
この門の左と右には、雷神と風神の二体の木像を安置してあった。
ところが
震時失雷公所在。
震時、雷公の所在を失えり。
大地震の後、このうちの雷神像がどこかに行ってしまったのである。
また、浅草寺には二頭の馬が飼われておりましたが、そのうちの一頭の姿が無かった。
このため、
人皆訛言、曰、避地震也。
ひとみな訛言して、曰く「地震を避けるなり」と。
ひとびと口をそろえてみだりに言うに「雷神さまが馬に乗って地震からお逃げになったのだよ」と。
あげくには西に走るのを見た、とか、日光に報せに行ったのだ、とか、いろんな噂が広まった。
あんまりひとびとがうるさいので、お寺の方では看板を出して、告げ知らしめるに、
雷公塑像頗為毀損、故令工師修理之。如其神馬則移畜之本坊内苑耳。
雷公塑像すこぶる毀損を為し、故に工師をしてこれを修理せしむ。その神馬の如きはすなわち移してこれを本坊の内苑に畜(やしな)うのみ。
雷神の像はたいへん傷んだので、職人に命じて修理させているのである。寺の馬については、内庭に移して飼っているだけである。
と。
「なんだ、そうか」
と単純に納得したひともあったが、
「いや、そうではあるまい、もしそうだとしたら風神がなぜ無事なのか、馬だって一頭はもとの馬小屋に繋いだままではないか。ふふふ、わしにはお見通しよ」
と変な頷き方をしているひともいた、ということである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
菊池三溪「本朝虞初新誌」巻中より。
これを読んでて、「雷神門」とは「かみなりもん」のことだぜッ!と気づいたときは感動しました。
しかし冷静になれば、誰でも気づくよね、と思いまして、そんなことで感動していた自分が情けない。わしはダメだ。ほんとうにダメなニンゲンなのだ・・・。