今日は半日立ち仕事。普段よりはおもしろかったけど疲れた。
さて、明日からは11月です。11月はどんな月になるのであろうか。予想では・・・。
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春秋の時代のことでございます。
衛の大夫・石駘仲(せきたいちゅう)が跡継ぎを決めずに亡くなった。
正妻から生まれた嫡子はおらず、年のころのよく似た庶子が六人。一族が集まってこの中から跡継ぎを決めることにした。
一族の主だった者がまず集まり、ひそかに卜者(ぼくしゃ。占い師)を呼んで、六人のうち誰が適当か先だって占わせたところ、卜者曰く、
沐浴佩玉則兆。
沐浴・佩玉すなわち兆(きざ)しなり。
「おふろに入る」「玉を帯びる」―――この二点が見分けどころとなりましょう。
秘密にしていたはずなのに、これが六人の候補者にも洩れ知られた。
一族が集まった日、六人のうち
五人者皆沐浴佩玉。
五人の者、みな沐浴し佩玉す。
五人は、お風呂に入り、玉を帯びてやってきた。
その姿を目にして、顏をしかめる長老たちもいた。なぜなら、父親の喪に服している間は、風呂に入ることも玉を身に帯びることも禁忌にあたる。すなわち「失礼」であったからである。
六人のうちただひとり、石祁(せきき)だけは
孰有執親之喪而沐浴佩玉者乎。
孰(た)れか、親の喪を執りて沐浴・佩玉する者有らんや。
「どこに親の喪に服している間に、堂堂と風呂に入り、身に玉を帯びて人前に出る者がおりましょうや。
あとつぎになるとかならないとか、そういう問題ではありませぬ」
と言うて、風呂にも入らず、玉も帯びずにやってきたのであった。
ところで、一族であとつぎを決めるといっても議論して決めるのではございません。
長老たちが酒を灌いで浄めた宗廟の庭の一画に、大きな亀の甲羅が持って来られました。
卜者が進み出て、それに錐で孔を開ける。その間に聖なる火が燃やされ、六人の候補者はそのまわりに座らされる。
やがて卜者は恭しく孔を開けた甲羅を捧げ持ち、これを候補者たちの中心で、火にかざした。
沈黙の時間が過ぎる。
やがて――
ぼく。
と音を立てて甲羅が割れた。
「あととりさまがお決まりでございます」
割れ目は、六人のうち、正しく石祁の方を指していた。確かに、風呂に入り、玉を帯びる――この二点が見分けどころになったのである。
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「礼記」檀弓下より。
というように、ニンゲンの予想能力なんてあてにならないモノなのである。予想はとにかく絶望的な予想しか無い上に、予想より必ず悪く転ぶわたしのサダメ。予想などしてもしようがないのだ。
・・・・・・ちなみに最近「礼記」からの引用が多いのは、先だって樹木になったり次々と一族が出てきたりなどの危機状態のときに久しぶりで「論語」を読み始め、それに続いてこれも久しぶりに「礼記」を読んでいるから、でっちゅ。言っときますけど、チュウゴク古典が危機状態の際の「救い」になったわけではありません。それが証拠に、危機状態はまだ続いており、毎日毎日泣いたり独り言を言ったり、たいへんなのでっちゅ。誰か何とかちて。