もう休んでも回復しない感じだよ!
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金の泰和年間(1201〜08)のことですのじゃ。
道士の志賢長老は西京(金の西京は山西の大同である)の道観(道教のお寺)の東堂に住んでおられたが、
常住足備即棄去。
常住に足備すればすなわち棄去す。
つねに、使うだけのものが足りれば、余りは棄ててしまう。
というような生活ぶりであられた。
あるとき、外出の途上で
「ここにあったか」
と呟きながら、お供の弟子にモノを拾わせた。
一牛心大石。
一の牛心大の石なり。
牛の心臓ぐらいの大きさの石である。
堂に戻ってきた長老は、弟子に命じてこの石を
槌破。
槌破す。
槌で叩き割らせたのであった。
すると
中有蛇蠍相呑螫。
中に蛇・蠍のあい呑螫する有り。
中から、ヘビとサソリが出てきた。ヘビはサソリを呑みこもうとし、サソリはヘビを毒針で刺そうとして、その状態のままで固まって、石の中に入っていたのである。
「まるで生きているかのようだ」
集まってきた弟子たちは、どうしてこんなものが石中に入っていたのであろうかといぶかった。
長老教えて曰く、
此在吾法是怨毒所化、随想而入、歴千万劫而不得解者。
これ、吾が法に在りてこの怨毒の化するところ、随想して入り、千万劫を歴(へ)て解くを得ざるものなり。
「これは、わが道教の秘法を用いて、ひととひととの怨恨の心を変化させ、想念の力によって石の中に封じ込めたものじゃ。石ができて、何千、何万年を経ても、いまだこのように激しく憎しみ合ったままほぐれることがない。
おまえたちもよく覚えておくがいい、人を怨み、人を妬む心をそのままにしておいたら、いかに長く解きほぐされずに残ってしまうものであるのか、を」
そして、道観の中で一番大きな鉄杖を持ってこさせた。
若い弟子たちが数人かかっても、ようやく引きずってこれるほどの巨大で重い鉄杖である。
鉄杖が目の前に持ってこられると、長老曰く、
若不為解却、他日亦道曾見我来。
もし解却を為さずんば、他日また、かつて我に来たされしなり、と道(い)わん。
「ここでこの怨恨を解き放ってやらなければ、将来誰かから「あの道士の志賢がここまで持ってきておいて、そのままにしておいたのだ」と言われるであろう。
さあ、それを貸せ」
即以大杖撃之。
即ち大杖を以てこれを撃つ。
巨大な鉄杖を受け取ると、えい、と振り上げて、そのものを打ち据えた。
どすん。
ヘビとサソリ(の化石)は、粉々になった。
―――以上、我が友人・全唯識の教えてくれたことである。
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だから、わたしがデッチあげたのではないんだよー、と言うことでしょうか。金・元好問「続夷堅志」巻一より。(←それにしてもこの人、石の話好きだなあ・・・)
・・・おいらのこの鬱屈した石のような心も、あたまを槌で割って取り出し、巨大な鉄杖で撃破して粉々にしてもらうー――しか逃げ道は無いのかも。