平成25年10月30日(水)  目次へ  前回に戻る

 

まだ水曜日かあ・・・。週末は遠い。

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遠い、といえば、陸奥国も遠い。

寺島良安の「和漢三才図会」巻65を開きます。

この巻には日本全国及び各地の特徴や山水・名産などが紹介されておりまして、その陸奥国の条を閲するに、

焼山

という山が紹介されております。

在南部領。自大畑登三里半許。此山、不時有焼故名之。

南部領にあり。大畑より登ること三里半ばかりなり。この山、時ならずして焼けることあり、故にこれに名づく。

とのこと。下北半島にあり、火山性の山らしい。

この山は全体が仏寺となっておりまして、その開基は平安時代の慈覚大師なり、といい、山中には大師のお造りなられたという

千体石地蔵、中尊長五尺許、其他小仏。而人取去、今僅存。

千体石地蔵、中尊の長(たけ)五尺ばかり、その他小仏なるあり。而るに人取り去り、今わずかに存するのみ。

千体の石の地蔵さまがあった。中心になる一番でかいのが身長5尺ぐらいで、それ以外は小さい地蔵であった。しかし、多くの人が持ち帰ってしまったので、今ではわずかな数だけが残っているだけである。

文化財を持ち帰ってはいけませんね。

なお、

近頃有僧円空者、修補千体仏。

近頃、僧円空なる者有り、千体仏を修補す。

近年(←江戸時代の前期)、円空という僧侶が来て、この千体仏を修理し、あるいは作り直したという。

「円空仏」の円空さまでございます。今(←現代)でも寺には円空さまの初期の作といわれる聖観音像がのこっておりますとのこと。

この山の頂近くには、

有三途川及塞河原、層小石為塔形。又有一百三十六地獄。

三途川及び塞(さい)の河原あり、小石を層(かさ)ねて塔形を為す。また有り、一百三十六地獄。

三途の川と賽の河原がある。賽の河原には、小石を積んで塔のようにした石積みがある。このほか、136の地獄がある。

それらの中には、

名修羅者、地面皆石而凡長二十五六丈、幅五六丈、其石面如血色者散染赤、一異也。

修羅と名づくる者あり、地面みな石にしておよそ長さ二十五六丈、幅五六丈、その石面、血色の如きもの散じて赤く染めたる、一異なり。

修羅(しゅら)地獄と呼ばれる場所がある。(←知識人の方や大松は「修羅道は、地獄道とは別だぞ」と言いたくなるかもしれませんが)

その場所の地表は一面に長さ75〜80m、幅20m弱の石で、その表面には血のような赤い斑点があちこちに散らばっており、かなりの奇観となっている。

そのほかにも、尖った石が一面に生えている「剣山」がある。それから、「酒屋地獄」「藍染屋地獄」「麹造り屋地獄」など多数あり。

一々あげているときりがないので、例示はこれぐらいにしておきますが、このように山中に多数の地獄があるのは、

肥前の温泉嶽(うんぜんだけ)

とここだけ。

だそうです。また、山中には「仏・法・僧」と鳴く珍しい鳥もいて、これも日光やらどこやらとここだけなのだそうです。

さて、この山はどこかな?

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答えは? → ここ

 

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