昨日・今日と、すごい長い間しごとしていたような気がするが、まだ火曜日か・・・。
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さて、昨日の続き。
蘧伯玉は何に怒ったのでしょうか。
ヒントは、同じ「礼記」檀弓上篇の中の、数章あとの記述(すぐ後ではない)にありました。
―――斉の大夫・成子高が病篤くなったとき、一族の慶遺という者が枕頭に座って、問うた。
子之病革矣。如至乎大病、則如之何。
子の病革まれり。もし大病に至らば、すなわちこれを如何せん。
「あなたさまの病気はいよいよ危篤状態になってまいりました。もしも「大病」(←「死」のことを忌んでこう言ったのである)となりましたら、どういたしましょうか」
遺言を請うたのである。
子高はあえぎながら言うた。
吾聞之也。生有益于人、死不害于人。
吾、これを聞けり。生きて人に益有り、死して人に害せず、と。
「わしは、かつてこのように聞いたことがある。
―――価値あるひとは、生きている間は誰かの利益になるように働き、死んでからは誰にも迷惑はかけないものだ。
と。
そこで、お願いしたことがある。
吾縦生無益于人。吾可以死害于人乎哉。我死、則択不食之地而葬我焉。
吾、生きて人に益無きをほしいままにせり。吾、死するを以て人に害あるべけんや。我死すれば、すなわち「不食の地」を択びて我を葬れ。
「不食の地」というには、食い物を生み出さない、すなわち耕地にできそうもない不毛の土地のこと。
生きている間、誰かの利益になるようには働けなんだわしじゃ。死んでからは誰にも迷惑はかけとうない。わしが死んだら、どうか耕作のしようのない不毛の地を選んで葬ってくれ」
と。
すなわち―――君子たるもの、死後に他の人に害悪を及ぼさないように気をつけねばならないのである。
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しかるに、公叔文子は、
「すばらしいなあ、この丘は。わしが死んだらここに葬ってほしいものじゃ」
などと、感想を漏らしてしまった。
宋の劉礪が注していうに、蘧伯玉は、
及聞文子之言、而悪其将欲奪人之地、自為身後計、遂譏之、・・・示不欲与聞其事也。可謂長于風喩者矣。
文子の言を聞くに及び、そのまさに人の地を奪い、自ら身後の計を為さんとするを悪み、遂にこれを譏(そし)りて、・・・その事をともに聞くを欲せざることを示すなり。風喩に長ずと謂うべきなり。
公叔文子のその言葉を聞いて、文子が、自分の死後に利用するために他人が利用できる土地を自分のモノにしてしまおうとした、その心根に頭に来て、・・・(先に行ってしまって)その話は聞きたくもない、というキモチを表示したのである。上手に、はっきり言わずにあてこすったものではないか。
なのだそうです。
さすがに、
蘧伯玉使人於孔子。孔子与之坐而問焉。曰、夫子何為。対曰、夫子欲寡其過而未能也。
蘧伯玉、人をして孔子に使いせしむ。孔子、これと坐して問う。曰く、夫子何をか為す、と。対して曰く、夫子その過ちを寡(すくな)くせんと欲していまだ能わざるなり、と。
衛の蘧伯玉さまが、使者を孔子のもとに送った。孔子は使者と対座して、質問した。
「蘧先生は最近何をしておられますか」
使者は答えて言った。
「先生は過失を少なくしようと努力しております。しかしまだまだ成功しておりません。(孔先生にその方法をうかがってこい、とのことでございました。)
使者出。子曰、使乎、使乎。
使者出づ。子曰く、使いなるか、使いなるか。
使者が帰った後で、孔子が言った。
「見事な使者だ、見事な使者だ(、彼を使わした蘧伯玉の立派さがわかるというものだ)」
と孔子に称賛された(「論語」憲問篇)ほどの方でございます。(この使者も要するに当てこすりといいますか、はっきり言わずにほのめかした、という点で御主人と同じジャンルに秀でていたわけである。)
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以上でちたー。
ああ勉強になったなあ、しかしこれは人がいかに生き、いかに死ぬか、という問題についての勉強にしかならず、マニュアルや資格取得や婚活やテレビドラマの評判の話題などのもっと大切なことに役立つことではないから、どうでもいいことだなあ。―――と、みなさんは思ったことでしょう。わたしもこんなことの勉強のために本来なら一日十一時間ぐらい眠りたいのに、その睡眠時間を削っているわけである。悔いの残る人生であった。
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