月曜日、なんとか終わった。しかしまたすぐ明日が来る・・・。
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春秋の時代、衛の国の大夫・公叔文子が、国都の郊外にある瑕丘(かきゅう)に昇った。同じく大夫の位にあって、彼より若い蘧伯玉(きょ・はくぎょく)がその後ろに従っていた。
文子曰、楽哉、斯丘也。死則我欲葬焉。
文子曰く、楽しきかな、この丘や。死すれば我葬られんことを欲す。
文子が言った。
「すばらしいなあ、この丘は。わしが死んだらここに葬ってほしいものじゃ」
すると、蘧伯玉は、突然顔色を変え、
吾子楽之、則瑗請前。
吾が子これを楽しめ、すなわち瑗(えん)は前せんことを請う。
「あなたはそれを楽しんでください。わたくし瑗(←蘧伯玉の名前)は先に行かせてもらいます」
と言うや、すたすたと丘を降りて行ってしまった。
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「礼記」巻二・檀弓上篇より。
はて?
蘧伯玉は後に孔子からも尊敬された立派なひとである。その彼が先輩の言葉の何を聞きとがめたのであろうか。
みなさん知りたいでしょう。
しかしわたくしは明日の朝早くからツラいしごと。今日は早く寝ないとなりません。なので、講釈はまた明日。
ただし明日のしごとはかなりキツくツラく、爆発物もいくつかあります。肝冷斎が本HPを更新しうるだけの精神の余裕を保ちつつ会社から帰ってこられる確率は、かなり低いのですがね・・・。