慣例斎、ついに力尽きました。今日の夕暮に紛れてどこかに逃げて行ってしまった模様。誰も慣例斎の職場に抗議の手紙を出してあげないから・・・。
東京周辺はずいぶん寒くなってきましたので、今日は肝冷斎族のほとんど最後の生き残りともいうべきわたくし「寒冷斎」が更新を担当いたします。
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慣例斎が逃亡する前に遺していったメモには、
「海大魚」で一回更新稼いでごまかして・・・
と書いてありました。
「海大魚」とは何なのかな?
・・・・・戦国・斉の威王(在位前339〜前329)の子に、靖郭君・田嬰という人がおりました。
この人が、自分の領地である薛(せつ)の地に城を築こうとした。しかし当時の国情からして、斉の都・臨錙と別に都市を作ることは、斉国にとっても、また田嬰自身の政治的立場にとってもよくないというのが多数意見であり、田嬰のもとには多くの人が築城を思いとどまるよう諫言に来たのであった。
ついに田嬰は業を煮やして、取次をする者に
無為客通。
客の通を為す無かれ。
説客どもが来ても、わしに面会させるな。
と命じた。
そのとき、斉のある人が取次人を通じて、
臣請三言而已矣。益一言、臣請烹。
臣の請うらくは三言のみなり。一言を益せば、臣、烹られんことを請う。
「わたくしが聞いていただきたいのは、ただ三文字だけでございます。一文字でも増えましたら、わたくしは釜ゆでの刑にしていただきとうございます」
と申し出てきたのであった。歴史チュウゴクの言語=文字体系はいわゆる孤立語で、一文字=一音節=一単語になる。こんな不自然な言語が自然に出来たとも思えないので、原始の中原における各種族のリンガ=フランカ(共通語)として造られた人工語ではないか、という説があります。・・・けど、まあ、そのことはまた今度お話いたしましょう。今は田嬰のことでございます。
「ほう。三言だけ、とな。それを越えたら釜ゆでにしてくれ、とな」
田嬰は興味を引かれ、この客と面会することにした。(面会の際の作法についてはこちらを参照)
客は田嬰の前に通されると、
趨而進曰、海大魚。因反走。
趨(はし)りて進み、曰く、「海大魚」と。因りて反り走る。
すたすたと小走りに走り寄って、
「海大魚!」
と発言すると、すぐに走り去って行こうとした。
田嬰驚き、曰く、
客有於此。
客、ここに有れ。
「おい、お客人、ちょっと待ってくれ」
客曰く、
鄙臣不敢以死為戯。
鄙臣あえて死を以て戯れと為さず。
「やつがれは、釜ゆでにされるのはイヤでござりまする。生き死にのことをふざけて発言したわけではござりませぬ」
三文字以上のことは話せない、というのである。
田嬰曰く、
亡、更言之。
亡(な)し、さらにこれを言え。
「そんなことはせぬ。もう少し説明してくれ」
そこで、客は座り直し、答えて言うに・・・・・・・
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というのが「海大魚」のお話でした。「戦国策」巻四「斉策上」にございます。
え? そのあと客はどう説明したのか?
ほんとにご興味がおありなら、明日続きをお話いたしてもいいのでございますが・・・。しかし寒冷斎、明日の夜までもたないかも。
続きにご興味をお持ちの方は、慣例斎ではなくわたくし寒冷斎の方の表の職場に
「寒冷斎ちゃんをいじめないでくだちゃい、コドモたちからのお願いなの」
と抗議の手紙を出してくれるといいのですが・・・。