凡例斎が行方不明になりました。しかたがないので、今日はワタクシ、勉励斎がやりますじゃ。
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清の時代、永清という県城の南門の外に、張乞人(乞食の張さん)という貧人がいた。もうかなりの高齢であったが、毎日、乞食に歩いて老いた母親を養っていた。もちろん住まうべき家などないので、門外の地に穴を掘ってその中で暮らしていたのである。
あるとき、県知事の魏継斎がそのあたりを通りかかった。
会天大雪、聞歌声出地中、怪之。
天の大いに雪ふるに会うに、歌声の地中より出づるを聞きてこれを怪しむ。
その日は大雪であったが、地面の下から歌声が聞こえ、知事はたいへん不思議に思った。
「あれは何の声であろうか?」
侍者たちは答えた、
「あれは張乞人でございましょう。このあたりの地面に穴を掘って暮らしているのでございます」
「ほう」
知事は興味を抱き、
「ここへ連れてまいれ」
と命じたのであった。
ほどなくして初老の汚い身なりのオトコが連れてこられ、知事の車のかたわらに跪いた。
「張でごぜいます」
「おまえが乞食の張か。今、お前はなぜ歌を歌っていたのか」
張乞人答えて曰く、
今日我母生辰。歌以勧餐耳。
今日は我が母の生辰なり。歌いて以て餐を勧むるのみ。
今日はわしめのおふくろの誕生日なのでごぜいます。そこで、(残飯類の)食事を進めるに当たって、歌をうたって喜んでもらおうとしていたのでごぜいます。
「ほほう」
知事は感心して、
「張乞人よ、おまえを御母堂とともにわしの官邸にご招待しよう」
「もったいないことにごぜいます」
雪の中、張乞人とその母は、荷車に乗せられて知事の官邸に招待されたのであった。
母子は食事を振る舞われたが、退出の際、話を聞いた知事の母親から、
「どうぞこれを温めて日々の食事にしなされ」
と、
饋大布及粟。
大布と粟を饋る。
大きな布きれと、それに容れられるだけの穀物を恵んでもらった。
また、知事は、乞人に
饋銭十緡。
銭十緡を饋る。
千枚通しの銭、十束を恵んでやった。
すると、乞人、頭を地面に打ち付けてお辞儀をしながら言うに、
官母賜我母、不敢不受。官賜我、我不敢受。
官母の我が母に賜うは、あえて受けずんばあらず。官の我に賜うは、我あえて受けず。
「知事さまのお母様がわしのおふくろに下すったものはありがたくいただきとうごぜいます。しかし、知事さまがわしに下すったものはいただくわけにはまいりませぬ」
と銭束を受け取ろうとしないのであった。
知事は言った、
愈与残盃冷炙。
残盃・冷炙より愈(まさ)らん。
「飲み残しの酒や冷え切った残飯よりも(そのカネで温かいものを買った方が)よかろう」
乞人は答えて曰く、
残盃冷炙、我母安之久矣。且無所汚也。
残盃冷炙といえども我が母これに安んずること久し。かつ汚るるところ無し。
「飲み残しや冷え切った残飯と申しましても、わしのおふくろはずっとそんなものばかり食っておりますのでそれで十分でごぜいます。それに、わしが乞食してもらってきたものはヨゴレてはおりません」
「ヨゴレ? どういうことじゃ?」
乞人曰く、
我愚民、不知此十緡、官何所受之。我母八十、我年六十有一、為官清白、百姓足矣。
我愚民にしてこの十緡の、官の何によりこれを受くるところぞやを知らず。我が母は八十、我は年六十有一、官を為すこと清白なれば百姓足れり。
「わしは愚かな民でごぜいますから、知事さまがこの十束の銭をどこでどうやってお稼ぎになったのか、とんとわかりませぬ。しかし、わしのおふくろは八十、わしももう六十一になります。穏やかな世の中が続けばそれで十分。お役人たちがヨゴレたことをやってお儲けになったりせねば、わしら人民の生活はやっていけるものなのでごぜいます」
「むう」
知事は強いて受けさせることができなかった。さらに、自分の母がその言葉を聞いてしまうのではないかと思って、腋の下に冷や汗を流した、ということだ。
さて、翌年の春になって、知事は自分の母の誕生日にふと張乞人母子のことを思い出し、侍者にその様子を探らせたが、乞人は前年のうちに
負其母去、不知所終。
その母を負いて去り、終わるところを知らず。
母親を背負ってどこかに流れて行ってしまっていて、その後、どこでどう果てたのか誰も知らなかった。
のだそうである。
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う〜ん、ワンダフル! いやー、感動しましたねー。
清末の大知識人で明治の日本漢学者たちとも親交深かった曲園居士・兪樾大先生にはそれこそ厖大な著書がおありですが、これは先生が清代の諸大家の名著から忠孝節義等について述べられた文章を採録してまとめた「薈蕞編」二十巻より、これは巻十の「張乞人」というお話(趙佑「清献堂集」より採録とのこと)でございます。
先生はこの書を編むに当たって疑わしいところは細かく考証を行ったということですから、たいへん世の中を道徳で導き、ひとびとを幸福にするのにたいへん役に立つ書でございますこと疑い無し。なお「薈蕞」(かいさい)とは小さいがたくさん生える草の一種だそうで、この書には天下国家を論ずるような大きな話は無く、こまごまとした人民の日常的なお話ばかりであるが、数は多い、ということで名づけたのだそうでございます。
―――え? こんなのゲンダイでは役に立たない? ええ? 道徳を以て世の中を善くできる、というわしの考えはもう古い? な、なんと! わ、わしの学んで来たことは役に立たない、ダメなものだというのですか?
そ、そうか・・・、わ、わしは、だ、だ・・・め・・・な・・・に・・・ん・・・げ・・・n