き・・昨日の・・・つ・・・づ・・・き
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・・・虞伯が言いますには、
晋吾宗也、豈害我哉。
晋は吾が宗なり、あに我を害せんや。
「晋は吾が虞の本家に当たる国じゃぞ! どうして我が国を損なうことがあろうか」
と。そして不機嫌そうにぎろぎろと宮之奇を睨み据えた。
しかし宮之奇は今回は引き下がらなかった。
対曰。
対して曰う。
反論した。
その内容は、以下のとおり。
(1)周の文王の祖父は大王さまでございますが、この大王さまに位を譲って国を去られた大王さまの二人の兄、太伯と虞仲は呉の国の祖とされております。我が虞はこの虞仲さまの子孫であるとされております。
(2)一方、大王さまのお子様(文王の父)が王季さまでございますが、虢仲と虢叔はこの王季さまの一世代あとの甥っ子に当たる方々で、虢の国はこの方々によって建てられたのです。そして、お二人は亡命した太伯・虞仲とは違い、
為文王卿士、勲在王室、蔵於盟府。
文王の卿士たりて勲は王室にあり、盟府に蔵さる。
周王国を起こした文王の重臣として、王室に大きな勲功があり、その旨は王府の盟府(過去の誓いを保存する役所)に保存されております。
虢もまた王室と晋国の親族であり、その関係は虞よりも深いのです。
将虢是滅、何愛於虞。
まさに虢をこれ滅ぼさんとするに、何ぞ虞において愛(お)しまんや。
虢さえ滅ぼそうとする者が、虞をいとおしむはずがございますまい。
さらに、
(3)公は十三年前(紀元前668年)のあの事件を御記憶ではございませんか。晋の献公はご即位に当たって、曲沃の地にあって強大な力を持っていた一族の桓家と荘家の方々を誅殺いたしました。
虞能親於桓荘乎。
虞、よく桓・荘より親しきか。
我が虞は、晋の献公から見れば同族とはいえ、桓家や荘家よりは遠い親戚になります。
どうして虞が免れることができましょうか」
「うるさいのう」
虞伯いう、
吾享祀禮潔、神必據我。
吾は祀りを享くるに禮にして潔なり、神必ず我に據らん。
「わしは祭祀を執り行うとき、禮に基づき、清潔にやっている。御先祖の神霊が必ずわしを守ってくれるわい」
宮之奇いう、
「臣はこのような古語を聞いたことがございます。
鬼神非人実親、惟徳是依。
鬼神は人の実親にあらず、これ徳のみこれ依るなり。
神霊はその人と実際に親しいわけではなく、その人の持つ「徳」にのみ親近を感じて降りてこられるのだ。
と。
周の国の古い書物である「周書」(現代ではすでに佚している)にも、次のような言葉がありますぞ。
○皇天無親、惟徳是輔。(皇天親無し、これ徳のみこれ輔なり。)
大いなる天はだれかをひいきすることはない。徳だけが助けである。
○黍稗非香、明徳惟香。(黍稗香るにあらず、明徳これ香るなり。)
(お供えの)キビやヒエなどの穀物のにおいが天に届くのではない、すぐれた徳のにおいだけが届くのである。
○民不易物、惟徳繋物。(民は物を易(か)えず、これ徳、物に繋(か)かる。)
人民どもは信仰対象をかえるわけではないが、徳だけが信仰をつなぎとめるのである。
神霊を祀られたとしても徳が無ければ何の価値がありましょうか。
神所憑依、将在徳矣。若晋取虞而明徳以薦馨香、神其吐之乎。
神の憑依するところは、まさに徳に在るのみ。もし晋の虞を取りて明徳以て馨香を薦むれば、神それこれを吐かんや。
神霊のお降りになるのは、「徳」の有無によるのでございます。もしも、晋が我が虞を滅ぼして、その上ですばらしい徳を以てよいにおいの供物を捧げれば、神霊はそれを吐き出してしまうことがありましょうか。
必ずお受け取りになるに決まっておりますぞ!」
このあたり、伝統的な信仰が変質しつつある時代のフンイキを伝えているのでしょう。虞伯のいうのが伝統的であり、宮之奇はその信仰がもはや流行ではないことを指摘しているのである。
「しつこいのう、ダメだ!」
虞伯は
弗聴、許晋使。
聴かず、晋使を許す。
宮之奇の意見を採用せず、晋からの使者のいうとおりにした。
「だめですか・・・」
宮之奇以其族行。
宮之奇はその族を以て行く。
宮之奇はただちに一族を引き連れて国を離れた。
そして、曰く、
虞不臘矣。在此行也、晋不更挙矣。
虞は臘せざらん。この行にあるや、晋さらに挙せざらん。
「虞の国は今年の末まで持ちますまい。今回の軍事行動の際、晋は一気にやってしまい、次の機会というものを遺すことはないでしょう・・・」
と。
「臘」は年末に執り行われる歳越しの重要な祭祀のこと。このため旧暦の十二月を「臘月」ともいいます。虞の国はこの臘の祀りを行うことが無い、すなわち年末まで国は存在していないだろう、というのである。そして、宮之奇だけでなく天下の賢者たちはみな晋の意図に気づいているから、晋がこの機会を逃すことはありえないであろう。
さて、八月、晋の軍は虞を通過して、虢の都・上陽を囲んだ。
そして、十二月一日、
晋滅虢。虢公醜奔京師。
晋、虢を滅ぼす。虢公醜、京師に奔る。
晋は虢を滅ぼした。虢公の醜(←名前)は周の王都に逃亡した。
その帰り道、晋の凱旋軍は
館于虞、遂襲虞、滅之、執虞公及其大夫井伯。
虞に館し、ついに虞を襲いてこれを滅ぼして、虞公及びその大夫井伯を執らう。
虞の都に泊まり、そのまま虞を襲ってこれを滅亡させ、虞公と大夫の井伯を捕らえて連行した。
而脩虞祀、且帰其職貢於王。
而して虞の祀りを脩し、かつその職貢を王に帰す。
そして、虞の御先祖の祭祀を行うことにし、また、これまで虞伯が周王に対して負っていた上納や賦役の義務を、晋において承継することとした。
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じゃんじゃん。これにて「春秋左氏伝」の「晋伐虢滅虞」章おしまい。「盟府」とか「職貢」とかの制度も勉強になります。また、「虞は臘せざらん」という言葉は滅亡が目前に迫っていることをいうときの基本的な言い回しに使われますので、ぜひ覚えておこう。
その後、宮之奇がどうなったかは知りませんが、虞国についていえば弱者が自己責任で強食されたのである。ゲンダイ日本のような効率的な世の中としては、自己責任なので「良いこと」なのでございましょう。
・・・ということは、わ、わたしのようなモノ・・・は淘汰されてし・・・か・・・る・・・べ・・・き・・・?