週末です。しかし来週引っ越しなので荷造りをしなければ・・・。それが心の重荷に・・・。
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いつ人生の中断があってもよろしいように、8月28日の続きを話しておきますね。
・・・鄭ひと燭之武が秦穆公に説いた言葉は、後の戦国期の説客たちの絢爛豪華な警句や演説ではなく、地政学的な分析に過ぎません。
まず、この時代のチュウゴク、秦が一番西にあり、その東側に晋、晋の東南側に鄭があって、その南に晋のライバルである楚があった、という地理的関係を頭に置いてください。
燭之武が秦公に言うたことばは次のとおり―――
「秦と晋が鄭の都を囲んでおります。わたくしの祖国・鄭が亡びることはもはや明らかでございます。
さて、ところで、
若亡鄭而有益於君、敢以煩執事。
もし鄭を亡ぼして君に益有らば、あえて以て執事を煩わさず。
もし鄭を亡ぼすことで、秦公さまに利益があるのであれば、わたくしは今宵、お取次ぎの方を煩わせることはございませんでした。
のですがなあ・・・」
「ほほう、鄭を亡ぼすことが我が秦の益にならぬと申すか?」
「あい」
燭之武曰く、
「まことに単純なことでございます。
越国以鄙遠、君知其難也。
国を越えて以て遠を鄙とするは、君その難きを知らん。
間にほかの国を越えた向こう側を自国の辺境として支配することは、秦公も困難であると御理解されておられましょう?。
秦と鄭の間には晋があるのでございます。いかに秦と晋が固く同盟を結んでおられ、また秦と晋がいかなるお約束で鄭の地を分割なさられるとしても、いずれは秦公の鄭の故地への支配は困難に陥るのは必至でございます。
そして、このたび鄭の地を晋との間で分割なさるならば、
用亡鄭以陪隣。隣之厚、君之薄也。
鄭を亡ぼすを用いて以て隣を陪す。隣の厚きは君の薄なり。
鄭を亡ぼして、わざわざお隣の晋に付け加えてやる、ということでございます。お隣がお太りになるのは、秦公さまがお痩せになる、ということでございますぞ」
「ふむ・・・」
「これに対して、もし鄭を存置して、晋の東方への通路に鄭という邪魔者を置いておけば、
行李之往来、共其乏困、君亦無所害。
行李の往来、その乏困を共にするも、君また害するところ無からん。
晋が東方の国々に使者※をつかわすときに、邪魔になったり対応に苦慮したりで晋と鄭はいろいろ困ることになるでしょうが、秦公さまにおかれて何かお困りになることがありましょうか。
・・・ところで、今の晋を治める文公は公明正大な名君と聞き及びますが、はて、その方は永遠に不老長寿なのでございましょうか?」
「なにが申したい?」
「秦公さまは、かつて、晋の先代・恵公さまが、焦・瑕の町をどうされたか、お忘れになったのですかな?」
「む・・・」
焦と瑕は秦との国境にある晋の小さな町である。
晋の恵公は亡命先から戻って晋の公位を継ぐとき、秦の領域を通行するかわりに、この二つの町を秦に譲りたいと申し出た。秦公はこれを許したが、恵公は
朝済而夕設版焉。
朝たに済(わた)りて夕べに版を設く。
朝、秦の領域から晋に入ってしまうと、夕方には(秦に譲るという約束を無視して)二つの町に、秦に対する防壁を築きはじめた。
これが僖公十五年(紀元前645年)、今から十五年前のことであった。
秦穆公はこのため、晋の国内政治に介入して、恵公に反対する文公と同盟を結ぶようになったのである。
燭之武はこのことを引いて、
―――現在は固い同盟の秦と晋も、つい先ごろまでは騙し合う仲だったではございませんか。
と言うたわけだ。
秦公が考えこむようであるのを見ながら、燭之武は付け加えた。
「晋はこのたび鄭を亡ぼして東側に領土を拡げることになりますなあ。東の次はどちらにございましょう。西の秦の方に向かわない、という保証はございませぬ。
闕秦以利晋、唯君図之。
秦を闕(か)けしめて以て晋に利す、ただ君、これを図れ。
秦の国に不利益を及ぼして晋の国に利益を及ぼすだけなのではないか?―――このことは、秦公さま、あなたがよくよく考えねばならぬことでございますぞ」
「わはははは」
秦公は大いに笑いはじめた。
「いや、よう申してくだすった。さすがは鄭の賢者と名高い燭之武どのじゃ。あなたのおっしゃることは正しい。わしは、正しいことをするのが好きじゃ」
秦伯説、与鄭人盟。
秦伯は説(よろこ)び、鄭人と盟す。
秦公はたいへん喜んで、燭之武をなかだちとして、鄭国と同盟を結んだ。
そして、大夫の杞子、逢孫、楊孫らに秦の兵を預けて、晋から鄭を守らせることとし、自らは鄭の囲みを解き、使者を通じて晋公に帰還の挨拶をすると、本隊を率いて本国に帰ったのである。
「秦公め、けしからぬ」
晋の老臣・子犯は晋公に
撃之。
これを撃たん。
「見せしめに追撃いたしましょうか」
と進言したが、晋公は肩をすくめ、
不可。
不可なり。
「だめですよ」
と答えた。
「子犯どの、わたしが思いますに、
微夫人之力不及此、因人之力而敝之、不仁。失其所与、不知。以乱易整、不武。
夫(か)の人の力微(な)かりせば、ここに及ばざるに、人の力に因りながらこれを敝(やぶ)るは、仁ならず。
その与(くみ)するところを失うは、知ならず。
乱を以て整に易(か)うは、武ならず。
わたしは秦公の力を借りて晋公の地位に就き、彼と協力して覇者となり、今回は鄭を問責しようとした。人の力を借りていながらその人を攻撃するのは、人間らしい振舞いではございませんよ。
また、同盟者をわざわざ失うような行動は、知恵ある者の振舞いではありませんね。
さらに、せっかく整合している同盟関係を混乱に換えてしまうのは、戦略的に正しい振舞いではないでしょう。
わたしは正しくないことはしたくありません。
吾其還也。
吾、それ還らん。
われわれも帰国した方がよいでしょうね」
子犯、畏まって曰く、
「殿のお考えのままに」
―――かくして晋もその囲みを解き、鄭は亡国を免れたのである。
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・・・なのだそうでっちゅ。「春秋左伝」僖公三十年、九月、「晋侯・秦伯、鄭を囲む」章より。
頭痛がなかなか治りません。明日も続くようならいよいよ頭を斬りおとす予定。
ところで、途中「行李」を「使者」と訳しておりますね。「行李」って荷物を容れる箱とか籠ではないの?なぜ「使者」なのでしょうか。元気だったら二三日中に解説する・・・かも・・・。